雑誌記事は『もしドラ』を境に変わったのか

雑誌記事に関してもこのような解釈は同様にあてはまるように思えます。この時期、ドラッカーについての特集記事の構成は『もしドラ』以前と変わることがない、というよりさらに定型化が進んだと言えます。ドラッカーの人生、著作リストやポイント解説、交友録、名言紹介、ドラッカーの知見を活用している経営者や組織へのインタビュー(この事例部分が『もしドラ』以後増加してはいます)、という構成です。たとえば『週刊ダイヤモンド』では「もっと知りたい!ドラッカー」(2010.4.17)、「みんなのドラッカー――学校、会社に広がるドラッカー」(2010.11.6)、「【エッセンシャル版】ドラッカー」(2011.6.18)と立て続けにドラッカー特集が組まれていますが、ほぼ上記のような構成がとられています。

この時期1つだけ新しい要素を見出すとすれば、『もしドラ』著者の岩崎夏海さんのインタビューがかなりの頻度で掲載されるようになっていることです(岩崎さんが秋元康さんのもとでAKB48のプロデュースにかかわっていたことは有名な話ですが、AKB48の峯岸みなみさんも、物語の主人公のモデルとして時折インタビューを受けています)。私は岩崎さんの発言・著述は今日におけるドラッカー観をある種端的に表わしているものではないかと思っています。

私が最も端的だと思うのは、『週刊ダイヤモンド』2009年11月14日号に差し込まれた『もしドラ』の試読版にある「解説」です。ここで岩崎さんは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を例にして次のように述べます。「ぼくにとってこの小説(タイトル略:引用者注)を書く行為は、さながら『ドラッカー・コード』とも呼べるようなものだった。ドラッカーが『マネジメント』の中に隠したコードを、一つひとつ読み解いていくことになったからだ」。そして『もしドラ』は、「ドラッカーが『マネジメント』の中に隠した、日本の女子高生にあてて書いたコードを読み解いた、その記録でもある」とも述べます。

コード(暗号)としてのドラッカーという言い方は示唆的です。そこには真実が間違いなく隠されており、「正しく」読み解くことができれば、岩崎さんの表現で言えば「人生のあらゆる局面で役に立つ」知識になるというドラッカー観が圧縮された表現と言えます。このような観点は、TOPIC-2で経営学者の藻利重隆さんが「経営学の金山」とドラッカーを評して以来保持されてきたものですが、岩崎さんの表現はそれをより先に押し進めたものと見ることができます。『もしドラ』の刊行直前には、「ドラッカーの言葉は、『するめ』だ。自分であぶり、よくかまないと、のみ込めない」(『AERA』2009.9.20「ドラッカーは『するめ』なのだ」)とする記事もありました。コード、金山、するめと、表現はさまざまですが、いずれにせよ、自分自身でよく噛み砕きさえすれば、必ずその味わいが出る――味わいを感じられないとすれば、それはあなた自身の読み込み不足の問題だ――という、真実の根源としてのドラッカー観は連綿と受け継がれているのです。

ドラッカー・マネジメント論の適用対象が広がっているのも書籍と同様です。書籍と同内容のものは割愛しますが、家族関係、夫婦関係、性生活、婚活、民主党政権の運営、学校経営、病院経営(細かく言えば病棟マネジメント、マネージャーとしての院長夫人論、眼科学会のサービス)、サッカー日本代表の采配、プロ野球選手のモチベーション管理と監督采配、AKB48の成功の理由、暴力団の盛衰、等々。やはり「何でもあり」の状況になっているといえます。

こうした記事では『もしドラ』のように、アニメ絵が用いられることもしばしばです。たとえば2010年6月1日号の『週刊SPA!』では「萌える♥ドラッカー入門」として、「末端お茶くみOL」の主人公がドラッカー理論を用いて社会に改革を起こすという、岩崎さん監修によるライトノベル風の記事が組まれていました。こうしたアニメ絵のビジネス書もまた、これ以後いくつか刊行されるようになっています。