「異女の文を、妻の『見む』と言ひけるに、見せざりければ(妻以外の女から送られてきた手紙を、妻が見たいと言ったが見せなかったので)」は、夫の密か事が露見しそうな情景だ。このような場合、男はどうする?
まず女からの手紙を読ませず、「この女とは何でもないのだ」と言い訳をする。何でもないのなら、読ませれば身の潔白は証明されるのだが、この夫は、異女からの手紙の裏に歌を書いて妻に見せた。
(この手紙に書かれていることには、このように怨みに思うことなどありません。ですから裏を見るほどのこともなく、不安に思わないでくださいよ)
よみ人知らず(『後撰和歌集』恋二・『信明集』)
面と向かって「怪しい関係ではないのさ」と言うよりは、歌の方がソフトなので事は荒立たない。
「よみ人知らず」のリアルさがある
それにしても、言い訳を即座に歌に作るということは、並みの腕ではない。それにテクニックが素晴らしい。掛詞を駆使した平安好みのうまい歌だ。
「かく」は「かく(このように)」と「書く」、「怨み」には「裏見」、「うしろめたく」は「うしろめたく(不安)」と「(手紙の)裏見たく」を掛けている。
歌は手紙の裏に書き、それを妻に見せているのだから、これが表になり、女からの文面は裏になる。だから「裏見たく」だ。夫の言い逃れが功を奏したかどうかは、妻の返歌がないので分からない。手紙の裏に書いて見せた夫の機知といい歌の出来といい、疑いながらも許したであろうことを祈ろう。
この歌は『信明集』にあるので、陸奥守従四位下に至った源信明の歌だろう。この妻は、醍醐天皇の弟敦慶親王と歌人伊勢の間に生まれた中務か。やんごとない血筋に繫がるゴシップなので、『後撰和歌集』で「よみ人知らず」にして信明の名をも伏せたのか。そうならば、ますます信明に後ろめたさを感じてしまう。