週刊誌には力があるが、過ちを犯すこともある
タテマエを取り扱ってきた新聞やテレビにとっても、下半身スキャンダルを無視できない方向に変わってはきているが、メディアの特性も踏まえるとスキャンダル報道のアドバンテージは圧倒的に週刊誌の蓄積に宿っている。
したがって、しばらくは「〜〜砲」の主役は週刊誌が担うことになりそうだが、そこにも危険性は潜む。週刊誌は王道に対する異端、タテマエに対する「俗物」としての存在価値を見いだしてきた。異端が「王道」と見なされてしまえば、過去に踏んでしまったような大きな失態は発行元を揺るがすような危機に陥るリスクがある。
『週刊新潮』で言えば、2009年に4週にわたって掲載した「ニセ赤報隊実名手記事件」は現代ならば、もっと大きな問題になっただろう。記者2人が殺害された朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の事件の犯人を名乗る人物の手記の掲載だったのだが、確かにディテールは揃っていた。一見すると犯人しか知っていないようなことを語っていないようにも思える。だが、どんな時代にも詐術に長けた人物はいる。彼らはディテールを自在に操るものだ。
およそ荒唐無稽な話で掲載直後から多くの批判があったが、問題を突き詰めればニセ犯人の話と矛盾するファクトが出てきた時、ニセ犯人を優先したことに尽きる。
誤報に苦しみ、自死をもって抗議した大学教授
『週刊文春』においてのそれは日本考古学協会のホームページにも掲載されている「大分県聖嶽洞窟遺跡の旧石器捏造疑惑」(2001年〜2004年)が挙げられる。これは別府大学の賀川光夫名誉教授(当時)が文春から根拠なき調査の捏造疑惑をかけられ、結果的に抗議のため自死をするという経過を辿った事件である。
賀川氏は当時の文春編集長宛に抗議文を送ったが、返信がなかったばかりか賀川氏以外の研究者による学術的に正当な検証作業が一切無視された続報が出た。文春にとって都合の良い「ファクト」が選ばれた続報が掲載されたということだ。遺族が文藝春秋社を相手に起こした名誉毀損訴訟は最高裁まで3年の時間がかかったが、遺族側の勝訴で確定している。
いずれも、「これだから週刊誌は信じられないという話」ではない。週刊誌の良さは異端であるがゆえのダイナミズムに宿るが、しかし同時にアクセルを踏み込みすぎてしまうリスクもある。新聞にも致命的な誤報やミスはあるが、その都度大きな反省を求められてきた。現場レベルでも誤報を避ける慎重さは増しているが、それが踏み込み不足だという批判も受けている。
今の時代に先のような事例が起きれば、これまでの新聞以上に大きな打撃を受けるどころか「やはり週刊誌もダメか」という幻滅とこれまで以上のメディア不信を招く呼び水になることは容易に予測できる。やがてダイナミズムも失ってしまうだろう。