週刊誌の凋落を象徴する「週刊朝日の休刊」

1922年に創刊した日本最古の週刊誌「週刊朝日」が5月30日発売の最終号で101年の歴史に幕を下ろした。

休刊する「週刊朝日」の最終号=2023年5月30日、東京都中央区
写真=時事通信フォト
休刊する「週刊朝日」の最終号=2023年5月30日、東京都中央区

最終号はたちまち売り切れとなり、2週間も経った6月中旬になって週刊誌では異例の4刷の重版が発行されて店頭に並び、総発行部数はそれまでの倍以上の16万7000部に達したという。

6月15日にはNHK総合テレビがゴールデンタイムのバラエティ番組「サラメシ」で休刊までの10日間の編集部の姿を放送する(その後も再放送あり)など、前代未聞のお祭り騒ぎが続いた。だが、それは、ローソクが消える前にぱっと一瞬輝くような光景にも似ている。

ネット社会の進展に伴い、印刷メディアの週刊誌市場は急速に縮小。「文春砲」と恐れられるスクープを連発している「週刊文春」でさえ発行部数はジリ貧で、「週刊朝日」と同じ運命をたどりかねない週刊誌は少なくない。

「週刊朝日」の休刊は、週刊誌の凋落を象徴する「事件」に違いなく、メディアの主役が交代する中で、「古き良き昭和の時代」を謳歌した週刊誌が姿を消していくのは歴史の必然なのかもしれない。

だが、総合週刊誌を舞台に繰り広げられた「雑誌ジャーナリズム」が、週刊誌の衰退とともに命運が尽きるかというと、そうではないだろう。新聞や放送と一線を画してジャーナリズムの一翼を担ってきた雑誌ジャーナリズムのこれからを考えてみたい。

「トップが悪い」と痛罵した吉永小百合

「トップが悪いんじゃないですか。100年も続いた大事な雑誌をやめるなんて」

女優の吉永小百合さんが、最終号に寄せた「週刊朝日とわたし」と題する一文の中の強烈な一節である。

まさに、その通りだろう。

かつての栄光の日々を忘れられず、ネットメディアを過小評価し、「夢よ、もう一度」と念じているうちに、休刊という悲劇を招いた経営陣と編集幹部の責任は重い。

1990年代後半にピークを迎えた出版市場は、2000年代に入ると縮小トレンドが続き、「出版不況」が叫ばれるようになった。2010年代には、SNSの広がりやスマートフォンはじめモバイル端末の普及で、印刷メディアの限界とネットメディアの優位性は誰の目にも明らかになった。

出版市場はみるみるうちに収縮したが、中でも深刻な苦境に陥ったのが総合週刊誌だった。

メディアの歴史的な構造転換に直面したにもかかわらず、経営陣は漫然と時を過ごし、編集幹部は読者のニーズの変化をつかめなかった。無作為が招いた代償は大きかった。

それは、同じ印刷メディアの新聞にも言える。成功体験が足かせとなり、メディア環境の激変に積極的に対応しなかった、いや、できなかった点は共通する。