「テラスハウス」をめぐるフジテレビの対応
どんな立場で、何を言おうとも、どこからでも矢が飛んでくる。それが「SNSでの誹謗中傷」にほかならない。女子プロレスラー木村花さんの死を忘れてはならない。彼女は、フジテレビが制作したリアリティ番組「テラスハウス」をめぐってSNSで激烈な誹謗中傷に見舞われたからである。
あのときも、フジテレビの対応は冷たすぎた。
「冷たすぎる対応」しかできなかった理由は、今回と同じである。ひとたび責任を認めてしまえば、組織を維持できない。そんな恐怖心がフジテレビにも、今回の日テレにもあったのではないか。
日テレに求められるのは、プロセスを明らかにする態度である。脚本家の野木亜紀子氏が当初から求めている道筋である。
野木氏が、NHKで放送されたテレビドラマ「フェイクニュース」のシナリオブック末尾で述べるように、「ネットも現実だけど、ネットの中に人生はない。あなたの人性は誰かに決めつけられるものではない」。
だからいま、自分たちは何をしているのか、していないのか。何ができるのか、できないのか。その迷いや悩みや、戸惑いを、そのまま言葉にしてもらえないだろうか。
愛情がなければ、テレビドラマは作れない
完璧な対応をしていればよい、叩かれすぎないほうがよい。そんな専守防衛の態度では、亡くなった芦原さんがあまりにも報われない。そう思うのは、日テレの態度は、天候によってダイヤが乱れた時の「交通機関のお詫び」に似ていると感じられるからである。
先日の大雪によって関東地方では電車やバスが遅れた。仕方がないし、どうしようもないから、誰の責任でもない。それなのに、駅では「大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」とのアナウンスが繰り返された。あたかも、駅員や鉄道会社のせいであるかのように装いながらも、その実は、何の感情もこもっていない。
謝っておけばいいだろう。そんな血も涙もない、通り一遍の対応と、今回の日テレのコメントは通じているのではないか。
もし、日テレがドラマに対して愛情があるならば、いや、愛情がなければテレビドラマは作れないのだから、少しでも血の通った対応をしてほしい。たとえそれが、ネット社会における禁じ手だと思われているとしても、今からでも遅くない。
それこそが、せめてもの弔いになるはずである。