災害報道には意義がある
この問いは誰の、どのような行為かを明確にしておくことが大事になる。私は毎日新聞時代に東日本大震災や豪雨災害、インターネットメディアに移籍してから熊本地震は発生直後から現地に入って取材をしてきた。過去の取材を踏まえると災害報道の必要性は以下のように整理できる。
大災害の現場には多様な人々の姿、生々しい感情を目の当たりにできるがマクロの情報は足りなくなり、逆に現場から離れるほど多くの人に影響を与える対策や判断に必要な情報は集まってくるが被災者や救助にあたる人々の生々しい感情が抜け落ちていく。両サイドから情報を発信することで、被災した地域、人の多様な現実を映し出す。それが適切な支援や次の災害への備えを考えることにつながる。
一つ事例を挙げておこう。東日本大震災取材で海上保安庁の取材に同行したことがあった。低い水温のなか何度も潜水し、行方不明者を捜索する。発生から10日以上が過ぎ、生存の確率が低いことは誰もがわかっている。遺体であっても、何か身に着けたものであっても何か見つけてほしいというのが被災した人々や地区からの依頼だった。何度も、何度も潜って発見したのは流された車一台だった。海保の指揮官は同行した私に「自分たちは捜索して情報を集約することに追われてしまい、時間も足りない。だから、マスコミがこの現実を伝えてほしい」と言った。何人が捜索に当たった、という大きな情報の影に、人と人が交わる現場がある。
この指揮官とも話したが、行政はどこも情報収集と目の前の救援活動で業務が手いっぱいになってしまう。現場の発信も行政に任せればいい、という極論もあるが、実現したところで現実には人員増と発信の負担を増やすだけに終わるだけだ。さまざまな現場からの情報発信は、刻一刻と変わる現地のニーズを伝えることにもつながる。ここに災害報道の意義がある。
議員の現地視察にも意義はあるが…
同じようにミクロに生じる多様なニーズに応えるボランティアが駆けつけることや、国会議員の現地視察にも一定の意義がある。ただし条件付きで、だ。
災害報道の基本はすべて社内で自己完結することだ。これはボランティアや国会議員も同じだ。移動手段、食料、燃料、宿泊場所、危険なルートはどこなのか。すべて情報を集めてから行動しなければいけない。その際に最も重要なのは最前線の記者だけでなく、組織としての指揮命令系統、ロジスティックス担当も含めて有機的に機能していることだ。
東日本大震災で岩手県宮古市の旧田老町エリアに入ったが、そのときも盛岡市から非常時の食料などを運搬、宿の手配、レンタカーの手配といったロジスティックスを担当する社員がいた。道路網の情報収集は盛岡支局が集め、記者だけでなく、全国各地の事業担当や広告担当も現地入りして現場を支えてくれた。紙面を統括したのは阪神大震災取材を経験した記者で、現場から離れた支局から集まった情報を捌き、的確な指示を下していた。