関心を持続させることも立派な支援
あの災害を目の当たりにして何かできることがないか、と考えるのは行動に移った人々だけでなく当たり前のことだ。行動をしたくても、行政からボランティアの自制を呼び掛けられたことで無力感を覚えたり、萎縮したりした人も多いだろう。無力感は怒りを呼び起こし、せめてSNSで何か力になるようなことを考える人がいることが国会議員やボランティア、メディアの行動が争点になった遠因ではないか。だが、いまの時点で必要以上に無力感も萎縮も感じる必要はないと思う。
過去の災害を踏まえれば確実に言えることがある。能登半島地震の支援は必ず長期化するということだ。
災害初期は災害救援、医療支援や情報発信もスキルを持ったプロやNPOが担い、時間が経って徐々に多くの人ができることが浮かびあがってくる。県外からのボランティアを受け入れられる体制も整う。必要な出番がやってくるのは1カ月後かもしれないし、2カ月後、あるいはもっと先かもしれないが必ずやってくる。
その時点まで体力を温存して、被災地のものを買う、募金をするといったできることをしながら、刻一刻と変わる支援のニーズをキャッチしておく。出番を待つこと、被災地への関心を持続させることも立派な支援なのだから。