1月1日に発生した能登半島地震で甚大な被害が出ている。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「被災地は、以前から大きな地震が頻発しており、一部の専門家から危険性も指摘されていたが、この地域への対策を重視したようには見えない。誰も責任を取らない形で、なし崩しに『地方が見捨てられる』という状況が生まれつつあるのではないか」という――。
雪が降り積もった被災地=2024年1月8日午前、石川県珠洲市
写真=時事通信フォト
雪が降り積もった被災地=2024年1月8日午前、石川県珠洲市

新聞が見出しに掲げた「見えぬ全容」とは

能登半島地震から1週間が経った1月8日の朝日新聞は、1面の見出しに「見えぬ全容」と掲げた。

「全容」とは、何を指すのだろうか。

死者や行方不明者の数だろうか。孤立状態にある人数だろうか。

「全容」という言葉の「全容」が見えないのである。それほどまでに今回の災害は把握が難しい。

どこで、どんな被害が生じているのか。誰が、何に苦しんでいるのか。何が、どれぐらい足りないのか。現地だけではなく、情報の中心地であるはずの東京でも、ほとんどわからないまま時間だけが過ぎていく。

情報が足りない。それ以上に、情報の不足具合すらわからない。

追い打ちをかけたのが、テレビやラジオの「停波」である。発災から3日も経たない1月4日午後4時時点で、NHK(約700世帯)をはじめ、地元テレビ局の石川テレビ放送・テレビ金沢・HAB北陸朝日放送の3局が約730世帯、北陸放送(MRO)では約2130世帯が影響を受けた。中継局の送信機が壊れたり、非常用電源のバッテリーが枯渇したりしたためである。

1月10日午前6時半時点の総務省の集計によると、石川県輪島市の地上波テレビではNHKが約700世帯、上記民放4局が約730世帯、ラジオではNHKが約700世帯、MROは約6000世帯に影響が続いている。

災害時には、携帯電話の通信状況は悪くなり、テレビやラジオといった放送に頼る割合が大きくなる。そこに、停波が続く。

内容だけではなく、物理的にメディアが届かなくなった。

民放がバラエティー番組やドラマを放送した理由

かねてメディアの東京一極集中は懸念され、批判されてきており、今回の地震でのテレビ局の対応を、そのひとつに挙げる見方もありえよう。

東京の民放のうちTBSを除く4局は、発生から数時間後には予定していた番組の放送へとニュースを切り替えたからである。L字と呼ばれる、文字情報を流しながらではあるものの、バラエティー番組やドラマを流し始めた。

一見すると報道特別番組ではなく、お正月用の特番を放送するのは違和感がある。公共の電波を使っている以上、一大事=大災害を報じなくてはならない、そんな理屈も成立しうる。

だからといって、そうした対応を非難したいのでは、まったくない。

ひとつめの理由は、どれだけの災害かわからなかったからであり、ふたつめには、災害以外にもテレビの公的な役割があるからである。

何が起きているのかわからない、それだけを伝え続けるよりも、気晴らしになったり、心を落ち着けたりするためにもニュース以外を流す。

そうした判断もまたあってしかるべきだろう。

問題は、そこにはない。

メディアの仕組みの面で、東京が地方を見捨てつつある、見捨てるしかない状況を見つめなければならない。