ともあれ、ハワイ作戦は現実味を帯びてきた。真珠湾攻撃を断行する覚悟を固めた山本は、前出の昭和十六年一月七日付「戦備訓練作戦方針等の件覚」で、海軍中央にその決意を披瀝し、ついで連合艦隊司令部内のとくに山本が指名した参謀たちに作戦研究を命じた。
もっとも、山本はその一方で、信頼する航空の専門家、第一一航空艦隊参謀長大西瀧治郎少将にも、真珠湾攻撃の計画立案をゆだねている。この大西案は四月上旬に山本に提出され、連合艦隊司令部に渡された。
これらの研究をもとに練り上げられた連合艦隊のハワイ作戦計画は、大本営海軍部(軍令部)の反対に遭ったが、山本の強い主張が通り、認可に至った。「本案が容れられぬならば自分は辞職する」とまで山本が発言したという有名なエピソードは、このときのことである。
山本五十六は何を狙っていたのか
かような経緯をみれば、真珠湾攻撃の目的は南方作戦実施中の米太平洋艦隊封止にあったかと思われるであろう。しかし、山本が遺した文書や発言を追っていくと、より多くを狙っていたのではないかと推測されるものが多々ある。それゆえに、さまざまな解釈が成り立つし、一部の批判の根拠にもなっているわけだ。
ここでは、前掲「戦備訓練作戦方針等の件覚」に注目して、論じてみよう。そのなかには、つぎのような文章がある。
「日米戦争に於て、我の第一に遂行せざるべからず要項は、開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍及米国民をして救うべからざる程度に、其の志気を沮喪せしむること是なり」。
この文章を読めば、山本五十六は真珠湾攻撃でアメリカ艦隊を撃破すれば、米国民もその海軍も戦意を喪失するだろうと楽観していたように思われる。むろん、現実にそうなったように、アメリカはその程度のことで和平に向かったりはしなかった。山本は、アメリカの国民性を過小評価していたと批判されるゆえんである。
空襲だけではなかった
しかしながら、筆者は山本の真意に関して、別の仮説が成り立つと考えている。その根拠は同じ文書のなかにある、以下のごとき記述だ。
「〔前略〕日米開戦の劈頭に於ては、極度に善処して、勝敗を第一日に於て決するの覚悟を以て、計画並に実行を期せざるべからず」。
「敵米主力の大部真珠湾に在泊せる場合には、航空部隊を以て之を徹底的に撃破し、且潜水部隊を以て同港の閉塞を企図す」。
具体的には、第一・第二航空戦隊(合わせて空母四隻。やむを得ない場合には、第二航空戦隊のみで行なうと補註がある)によって、「月明の夜、又は黎明を期し、全航空兵力を以て全滅を期し敵を強(奇)襲」するとある。
また、一個潜水戦隊(潜水艦六ないし十隻程度の部隊)を用いて、「真珠港(ママ)(其の他の碇泊地)に近迫、航空部隊と呼応して敵を雷撃し」、「此の場合、敵の狼狽出動(頓〔カ〕〔翻刻註釈は引用書の編者による〕入)を真珠湾港口に近く要撃して、港口の閉塞を企図す」ともある(前掲『堀悌吉資料集』第一巻)。