才能がないから続けられた

格闘技の世界は厳しい。周りがどんどん辞めていく中、児嶋氏はキックボクシングを続けた。それができたのは自分に才能がなかったからだと言う。才能のある選手は伸びしろも少ない。「ワンツーフックを打て」と言われたらすぐにできてしまうため、面白みを見いだしにくい。

児嶋氏は伸びしろだらけだったので、練習を経て「できるようになること」が多かった。だからモチベーションを上げやすかった。

「どんどん選手が辞めていくので、勝手に強い人がいなくなりました。僕は対戦オファーを断らないため実戦経験が豊富です。その経験の差を武器に勝利を積み上げられたので、僕のセンスでは到達できないSフェザー級2位まで辿り着けたと思います」

引退後の児嶋氏は、レフェリーとしてキックボクシング業界に携わりながら、豚革を取り扱うアパレルブランド「Sai」を立ち上げた。2022年にはクラウドファンディング「CAMPFIRE」を運営する会社から豚革の可能性が評価され、CAMPFIRE賞を受け、2023年には墨田区に常設店もオープンした。

画像提供=児嶋氏
児嶋氏が手掛ける「Sai」の店舗は日本一の豚革産地、墨田区にある。

 

始めたときから引退後のことを考えた方がいい

「キックボクシングの経験は今の仕事にいきています。初めてジムに行ったときは周りから笑われて、全く相手にされませんでした。でも豚革事業は、誰も僕のことを知らない状況でも、アパレルグッズが置いてあるだけで『なんだろう~?』と足を止めてくれます。それだけで嬉しいと思えるのは、キックボクシングの経験があったからです」

一方で、反省すべき点もあると言う。

「もちろんキックボクシングをやっていたことに後悔は一切ありません。でもキックボクシング一本で食べていく気がないなら『もっと未来を考えておけ』と過去の自分に言いたいです。僕は運よく豚革事業を始められましたが、今思うともっと前からビジネスについて勉強しておくべきでした」

児嶋氏がキックボクシングを始めたのは2013年。豚革ブランドを立ち上げようと決めたのは2021年。あるオンラインサロンに入って、アパレルについて勉強したことがきっかけだ。それまでの間は特に何も考えずに、派遣会社に紹介された仕事をこなしたり、友人の職場で働いたりしていた。

画像提供=児嶋氏
牛革に比べ豚革は「軽さや優しい肌触りが特徴」という。

「キックボクサーは、引退したあとの人生の方が遥かに長い。変な言い方になりますが、キックボクシングを始めたときから引退後のことを考えた方がいいと思います。『もっと練習に打ち込め!』と言われるかもしれませんが、練習しながらでも将来を考えることならできます。これは僕自身の反省から言えることです」

児嶋氏の現役時代の話を聞くと、プロ格闘家の大変さが分かる。本業が終わったあと、クタクタになりながら毎日ハードな練習をして、試合前には過酷な減量も待っている。まさに血のにじむような努力。それを知ってから、命を削る彼らの試合をもっと観たくなり、心から応援したいと思った。

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