格闘技好きではない私がK-1に思ったこと
私はもともと格闘技が好きだったわけではない。
子どもの頃にはテレビでプロレスやボクシング、キックボクシングを見ていたが、熱狂的に追いかけるほどではなかった。
社会人になって初めてK-1を見た時には、リング上で起こるKO劇が衝撃的で迫力もあり、それまで触れてきた格闘技やプロレスにはないリアルさと新鮮さを感じた。
だが、それでも「もう少し何かが足りない」という思いがあった。殴る、蹴るだけではなく、もっといろいろなことをすればいいのに――漠然とそう感じていたのだ。
その後、K-1の名古屋大会を自主興行することになり、石井和義館長にご縁をいただき、1994年頃から格闘技の興行に関わるようになった。
格闘技界に「放映権を売る」という感覚がなかった
当時から、格闘技は大きな可能性を秘めていると感じていた。例えばスポンサーセールス。広告媒体物として手のついていないものが沢山あり、「これはお金に変わる」という予感があった。
リングマットに広告を入れてもいいことを知り、名古屋にK-1を持ってきた当初は、リングマットに東海3県を中心に展開しているデリバリーピザチェーン「アオキーズ・ピザ」の絵を描いたり、コーナーポストにかつて名古屋に本社のあった時計の量販店「ウォッチマン」の広告を入れたりした。
もちろん、競技としての魅力もある。格闘技は1対1の戦いなので、見る人にとって分かりやすく、選手の表情が見えやすい。
一方、サッカーをはじめとしたチームスポーツの場合、特定の選手を追いかけるのではなく、全体を俯瞰しないことには本当の面白さが伝わりにくい。しかし、俯瞰した映像だと選手たちの表情は見づらい。そういう点で格闘技はテレビ向きだと思った。
けれども当時、格闘技界の人たちは、放映権を売るという感覚を持っていなかった。
興行主であるK-1に対して、私たちは営業権料を支払うわけだが、そのなかで彼らに渡していたのはビデオグラム化権。K-1は、撮影した大会映像をビデオにして売るというビジネスは進めていたものの、それをテレビのコンテンツにするということまでは、まだこの時点ではあまり理解していなかったようだ。