「性接待」「枕営業」といった言葉は女性をモノ化する

実際、性接待や性上納、枕営業、お持ち帰りなど、対象者をモノのように扱い、尊厳を傷つけるような言葉は数多く存在している。男性に対してもこうした言葉が使われることはあるだろうが、女性に対して安易に使われることの方が、はるかに多い。

Xではさらに、「男性が男性を接待するために、女性である自分たちが利用されるという経験をした」と語るポストを見た。ショックだったのは、「女性という属性以外、自分がどんな人間であるかは全く無意味なこととされた上、そこにいた男性たちは誰一人、申し訳ないと思っていないことだった」という。

このようにして被害者を「接待」「上納」「献上」などの道具に使い、利益を得ている加害者自体に、とことん焦点を当て描写するような言葉はあまり見かけない。それは一方で、日本社会がどのような所であるかを映し出している。

写真=時事通信フォト
「ダウンタウン」の松本人志と浜田雅功。2025日本万国博覧会誘致委員会の発足式典。東京都千代田区、2017年3月27日

男性視点からの言葉選びには違和感がある

文春にはむしろ、陰に隠れているこうした加害者たちを、表現の上でも表に引きずり出し、露骨なまでに活写する新しい造語を作り出すことを期待したい。「接待」「上納」「献上」などといった表現においては、加害者間でモノのように受け渡しされる被害者にスポットが当たっており、姑息こそくにも、そういった無法な行為をしてまで権力者におもねろうとするあっせん者や、そうした行為を要求したり、その結果を享受したりして満足気な権力者の姿は、あまり見えなくなっている。

現在のところ、「報道の力」を存分に発揮している文春だが、元々、文学という日本語の現場を切り開く芥川賞・直木賞を支えてきた文藝春秋社の一部でもある。「言葉の力」もぜひ、もっと発揮してもらいたい。

日本のメディアはずっと、男性中心的な視線の下で報道してきた。「SEX上納」といった表現を思いつくのは男性であろうと見なし「妊娠のリスクがなく、性行為の重みを軽視できる性ならではの表現だ」と指摘する声も、一連の賛同ポストの中にあった。性行為だけを、1人の人間から簡単に切り離せるように思うのは、確かに、性行為の結果もたらされるかもしれない直接的責任から免れている立場だからかもしれない。物事に向ける視線を、もっと幅広いものにしていく必要がある。

多様性や人権が重視される今、メディアにも社会にも変化が求められている。人権を重視するとは、とどのつまり、ものの見方を変えることではないだろうか。つまり、これまで無視されてきた人たちの視点から、物事を見てみるということだ。