本は読み飛ばしてもよい
一冊の本を「最初から最後まですべて読まなければならない」と思い込んでいる人が多いことにも驚かされます。そのような読書の定義や決まりなど、どこにもありません。
「読み飛ばすと内容や流れがわからなくなる」「読み飛ばしたところに大事なことが書いてあるかもしれない」そう思う人もいるようですが、本というものは最初から最後まで「すべて等しく重要」ということはなく、一冊の本の中にもさほど重要ではない部分が存在します。つまり、同じ本の中にも濃淡の差があるということです。
そもそも重要であるかないかということも、人によって変わってきます。たとえば、すでに自分がよく知っていることについて記述している部分は読み飛ばしてしまっても、その本の理解には影響しないはずです。
私のノンフィクションの読み方
そこで、ひとつの例として、私のノンフィクションの読み方をご紹介したいと思います。
私の場合、冒頭からいきなり読み出すのではなく、まず、著者の経歴を読む、あるいはネットでくわしく調べることから始めます(この理由は後述)。それから「まえがき(序章)」「あとがき」「目次」の順に読んでいきます。そうすることで、本の内容を大雑把に理解するのです。
「まえがき」には、その本のエッセンスが詰まっており、「目次」も時間をかけてじっと見ていけば、「この人は何を言いたいのか」「どのあたりに結論があるのか」といったことがだいたい理解できます。「あとがき」の長さは本によってまちまちなので、役に立つ場合とそうではない場合がありますが、「あとがき」がくわしく書かれている本の場合には、そこを読んだだけでほぼ全貌がつかめてしまうこともあります。
それから、最近は第三者による「解説」がずいぶんとくわしくなっていて、それを読むと、その本に書いてあること以上に全体を俯瞰した理解が得られることもあります。また、翻訳書の場合は、「訳者解説」もとても役に立ちます。その本を翻訳した方は、その本を穴が開くほど読んでいるので、内容についての理解度も格段に高いからです。
まずそれらの情報を先に頭に入れてから本文を読み始めるのと、いきなり冒頭から順番に読み始めるのとでは、内容の理解度に大きな差が出ます。
こうした「作業」をざっとすませたうえで、「この本は人類の知の全体像の中のどの部分を語っているのか?」「この本のテーマは何か?」「この本の結論は何か?」のあたりをつけてから読み始めるようにしています。