「地球環境ってイカンじゃないか」

そうしたとき、この4節から5節にかけて何をせなあかんのか。ここで大切なことは、創業者の目ざした物心一如の繁栄というのは社会全体を視野に入れたものなんですよね。ということは、当時は正直あまり関心がなかったのですが、「地球環境ってイカンじゃないか」と思うに至ったんです。

幸之助創業者の掲げた250年計画で考えると、ゴールの2182年は今から160年後です。そのとき、このまま地球温暖化が進んでいったらもう誰も住めないんじゃないか。火星に移住でもするのか。移住できなかったら、どうするのか。それで、これはまじめにやらんとあかん、と思ったんです。

上阪徹『ブランディングという力 パナソニックはなぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)

かつて社長を務めた大坪が、環境革新企業を目ざす、と宣言したのも、おそらく彼もそういうことに気がついていて、そこに我々の価値を見出したんだと思います。ただ、残念ながらこれをまじめにやろうにも、環境関連の技術が当時はあまり整っていなかった。

2012年には巨額の赤字を前に、大坪から引き継いだ津賀も前任者を否定せざるを得なかった。加えて、プラズマテレビ事業が撤退するという、とんでもないことになりましたから、やりきれなかった。ただ、それによって何が起きたのかというたら、原価を突き詰めていくことが軽視されてしまって、余計に競争力を失ってしまったところがあったと思うんです。

幸之助創業者の時代は、少なくとも自分たちが、いかにお客さまや社会に役立つものを世に出していくか、を考えていた。そしてそこにおいて誰にも負けないということを目指していたんだと思うんです。

もちろん1950年代、60年代は今ほど便利ではない時代でした。まずは便利にしていく、70年代前半は2槽式が多かった洗濯機も、1槽式の全自動にしていく、テレビもカラーにしていく。

そういう利便性を追求していったら良かったんですが、それがある程度、家電については十分便利なものになっていった。その前兆があった中で、社長を務めた山下俊彦が多角化をしたわけですね。

多角化した結果、残ったもの、残っていないもの、いろいろありますけども、そこからは新しいものを生み出そうとしても、小手先なものが多くなっていってしまった。だんだんプロダクトアウトになっていったという側面もあると思います。

――原点に立ち戻ることについて、役員会含めて、周囲からはどんな反応がありましたか。

全員の腹に落ちたかどうかというのは、正直いうと、よくわからないですが、歓迎する声は多かったですね。「そこに戻らなあかんねんな」、とかね。OBからは、けっこう励まされました。「それ失ってたんや」、といわれました。

従業員は、目の前の仕事に追い回されながらですから、また何か新しい面倒くさいことをいいやがって、という側面はあったと思います。ただ、2割、3割の従業員は、すごく共感してくれたという印象があります。やっぱり、そういうことですよね、といわれたり。

今はコミュニケーションの方向もずいぶん昔とは変わっていて、ウェブサイトに仰々しいメッセージを載せるのではなくて、社内はSNSでやっていますから。双方向ですからね。

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