みんなでどこに向かうのか、がはっきり見えなかった
――取材のスタートにパナソニックミュージアムを訪問して、改めて松下幸之助という創業者のすごさを垣間見ました。
そうなんです。私たちは、それを入社直後から叩き込まれた最後の世代だと思います。私がちょうど入社した年、1989年に創業者が亡くなっているんです。4月の末、私は工場実習で奈良の大和郡山でガスの給湯器を作っていました。もう撤退した事業ですけれど。その工場でいきなりサイレンが鳴って、それからアナウンスが流れたのも覚えています。
幸之助創業者のメッセージには、弊社のいろんな研修で触れる機会があるんですが、こういう立場になる前は、そこまで深く考えていたかというと、違っていたかもしれないですね。それよりも、自分が担当しているオートモーティブ事業の赤字をなんとかしないといけない、といった目の前のことに気持ちは集中するわけです。
社長の内示を受けたときは、抵抗しました。「最低もう1年、オートモーティブをやらせてほしい。なんで今、社長せなあかんのですか」と。でも、すぐに陥落したんです。前任の津賀一宏に「俺のときとは違うんや」と言われましてね。
「俺は大坪さんにやってくれと言われただけやけど、今回は指名・報酬諮問委員会での決定やから」と。それはもう、どうにもしようがなかったんです。
そこからですね。いろいろ考え出したのは。すると、この会社はわかりにくいな、と気づきました。わかりにくくてもいいんだけれども、みんなでどこに向かうんか、がはっきり見えなかった。
それで、もともとこの会社は何を目指していたのだろうと考えながら、過去の資料を読んでいったときに気づくわけです。結局、行き着いたのは、1932年、創業から14年目の第1回創業記念式典でした。
そのときに幸之助創業者がみんなに伝えたことは水道哲学という名前で呼ばれていますが、その水道哲学と250年計画の手前に、とても重要な一文があったんですね。それが、「精神的な安定と、物資の無尽蔵な供給が相まって、初めて人生の幸福が安定する」という言葉なんです。物心一如です。
調べていくと、1946年のPHP研究所の設立のときの設立趣意書にも出ていますし、1979年の松下政経塾の設立趣意書にも出てくる。
幸之助創業者が目指したものとして、水道哲学はよく知られていますが、それは一面であって、本質は物心一如の繁栄ということに尽きるんじゃないかと。それを250年かけてやると宣言していたということは、我々はその25年1節の4節目を預かっているだけだと思わんとあかんねんな、と気づいたわけです。