松下電器(現在のパナソニック)の創業者・松下幸之助とは、どんな人物だったのか。歴史研究家の河合敦さんは「幸之助はどんなことにも感謝の念をもつべきだと繰り返し説いていた。たとえば採用面接で不採用になった人にも感謝するべきだ、と語っている」という――。

※本稿は、河合敦『日本史の裏側』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

松下電器歴史館の敷地内に建つ創業者・松下幸之助の銅像=2008年9月22日、大阪・門真市
写真=時事通信フォト
松下電器歴史館の敷地内に建つ創業者・松下幸之助の銅像=2008年9月22日、大阪・門真市

奉公から逃げてきた息子に父がかけた言葉

松下電器(現在のパナソニック)の創業者である松下幸之助は、「経営の神様」と呼ばれ、いまなお彼を敬愛する経営者は少なくない。いったい一代でどのようにして成功したのか。じつはそこには、意外な信念が隠されていたのである。

幸之助は、明治27年(1894)に和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)で誕生した。父が破産してしまったので、9歳(満年齢・以下同)のときに大阪へ奉公に出されたが、あまりのつらさに、同じ大阪で働いていた父のもとに何度も駆け込んだ。

しかしそのたびに父は「昔の偉人は、小さいときから他人の家に奉公するなど、苦労して立派になっているのだから、お前も辛抱するんだよ」と励ましたという。この言葉は生涯、幸之助の心の支えになった。

楽な仕事をわざわざやめて、松下電器を創設

15歳になると、幸之助は奉公をやめて、大阪電灯に配線工の見習いとして入社する。やがてその仕事ぶりを評価され、わずか22歳で工事検査員に出世した。検査の仕事は、1日3時間で終わる楽なものだったが、「商売で身を立てよ」という亡父の言葉に従い、楽な仕事をやめ大正7年(1918)に松下電器を創設したのだった。もし幸之助が自分の地位に満足していたら、「世界の松下電器」は生まれなかったわけだ。

よく知られているように、幸之助が考案した二股ソケットは大ヒットしたが、続いて長時間使える電池式自転車ランプを開発した。これは、電池がそれまでの製品に較べて10倍も長持ちする優れものだった。だから、必ず売れると確信した幸之助は、大量生産に踏み切った。ところが問屋はどこも相手にしてくれなかったのである。

窮地に立たされた幸之助は、ランプの真価を知ってもらおうと、外交員を数名雇って大阪中の自転車販売店に無料で商品を配り、そのさい「品物に信用が置けるようになったら売ってください。その後、安心できたら代金を払ってください」と言わせた。この捨て身の作戦は見事功を奏し、数カ月もすると、販売店から注文が殺到したという。