松下電器の創業記念日に込められた決意

さて、そんな松下電器の創業記念日だが、幸之助は昭和7年(1932)の5月5日と定めている。いま述べたとおり、実際の起業から14年の歳月が過ぎている。どうして幸之助は、あえてこの日を創業記念日と定めたのだろうか。

それは、彼が自分の社会的使命に気がついたのが、この年の5月5日だったからだ。

河合敦『日本史の裏側』(扶桑社新書)
河合敦『日本史の裏側』(扶桑社新書)

「この世の貧しさを克服することである。(略)水道の水はもとより価のあるものだ。しかし道端の水道を人が飲んでもだれもとがめない。これは水が豊富だからだ」(松下幸之助著『夢を育てる』日経ビジネス人文庫、2001年)

突然、そうした啓示を天から受け、幸之助は世の中から貧困をなくそうと決意、その期限を250年後と定め、25年を一節として会社の基礎を固める決意をしたのである。

おそらく幸之助は、松下電器を大きく発展させてくれたあらゆるものに感謝し、日本から貧困をなくし、幸福な社会を実現することが自分の恩返しであると考えたのではないだろうか。

このようにまさに感謝の心は、幸福を生み出す根源なのである。

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