子どもを持つのが怖かった
現在奈良さんは、夫と娘の3人で平穏に暮らしている。
30歳で出産した奈良さんはこう話す。
「子どもを持つことがとても怖かったのですが、毒が連鎖することはありませんでした。毎日『自分の子どもが世界一可愛い』『一生この子の味方でいたい』と強く思いながら生活しています」
しかしその恐怖が完全に消えることはなかった。
「私が子どもの頃は、母に髪をつかまれて引きずり倒されたり殴られたり、よくわからない暴言で黙らせられたりと、決してまともな対応はされませんでした。だから娘に対して、『あなたは私という母親に冷静に何が悪かったのかを諭され、何が不満なのかを聞いてもらえ、抱きしめて不安を解消してもらえてずるい……』と思ってしまう自分と、『でも、自分の子にはあんな思いはさせたくない』という2つの気持ちが、ずっと心の中を錯綜しています」
筆者はこれまで毒親に育てられた人を50人近く取材してきたが、自分の親を毒親だと認識できているうえで子どもを持った人の多くが、「『自分の子どもに嫉妬する』が、『自分は親にされて嫌だったことは絶対にしない』」と口にしている。
「子どもがいたずらしたとき、言うことをきかないとき、暴れているとき。毎回親としてちゃんとした対応ができているか、自分が毒親化しないか、愛情を持って子どもに接しているかを、過去の傷ついた子どもの自分が常に見張っていて、ずっとジャッジされているような感覚です。毒親育ちの子育てにかかるプレッシャーは半端なものではないと思います」
そんな中奈良さんは、「子どもを1人の人間として接することができればOK!」とだけ考えることで、プレッシャーを軽減した。
「つい私たち親は、『もっと頑張らなきゃ!』と自分で自分を追い詰めてしまいがちですが、そもそも親に正解なんてありません。明らかに間違っている親(=自分の親)を見てきたので正解があるような気がしてしまいますが、明らかに間違わなければいいのだと思うことにしました」
筆者も子育てを始めてから自分の子どもの頃のことを頻繁に思い出すようになったが、毒親育ちの人の場合、過去のつらい出来事がフラッシュバックすることも少なくない。
「毒親育ちには、『親にしてもらって嬉しかったことを子どもに返そう』という“正の子育ての連鎖”がありません。なので、自分で1から適切な子育てを身に付けていかないといけないんです。人格否定や罵倒で育ったので、正しい叱り方がわからない。過干渉で育ったので、どこまで手助けしてあげたらいいかわからない。遊んでもらったことがないから、子どもが喜ぶ遊び方がわからない。これはやりすぎなのか? 適正な範囲内なのか? と悩むことが多いです」
例えば、子どもが気に入った服を毛玉になっても着続けているとき。学校でいじられたりしないか心配になった奈良さんは、「もうその服捨てたら? みっともないよ」と言うのは過干渉かどうか迷ったという。
奈良さんは、本やTV番組、ネットなどから知識をつけたり、義両親を頼ったり、先に子育てを始めた友人に相談したり、支援センターで保健師に話を聞いたりした。子どもが話せるようになれば、子ども自身が何が好きで何を大切にしているかを、子どもとの対話によって徐々に知っていき、過干渉ではないレベルを測っていった。
12月13日に上梓した拙著『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)の中でも書いたが、大切なのは、その子ども自身と向き合い、一人の人間として対等に扱うことだ。奈良さんの母親にとっての子どもは、見栄を張り体裁を保つ外車や家と同じ“所有物”に過ぎなかった。
「毒親育ちは、決して子育てができないわけでも、向いていないわけでもありません。子どもを育てることで、傷ついた自分も育て直すことができます。自分が子どもに愛情を与えることによって子どもから返ってくる愛情が、私たち自身を癒し、悪い記憶を塗り替えてくれるのです」
奈良さんは現在、1人でも多くの毒親育ちが安心した毎日を送れるようにと、『なやログ。』というブログや、Xで、毒親から自由になるための情報を発信している。自らの経験から導き出した言葉やアドバイスは、きっと多くの毒親育ちの人に刺さることだろう。