「ご兄弟は若くして独立されたんですよ。お兄さんは31歳で、弟さんは28歳だったから、すごく柔軟でした。師匠は3代続く家系なので、幼少期から指導を受けてきたでしょう。だから僕が25歳でこの世界に入ったことを心配して、『回りくどくは教えへん、ぜんぶ最短で教えてやるからついてこい』と言ってくれました」

仏師の師匠から「今から始めて人の倍では一人前になられへん、3、4倍やってようやく人よりも上手になれる」と言われた宮本さんは、その言葉に従った。

毎晩24時頃まで教えを請い、帰宅して3時頃まで寝た後、早朝4時には工房に行き、兄弟が来るまで切れ端で練習を続けた。休日になると、ひとり工房にこもった。

必然的に遊ぶ時間はなくなり、友人も減った。それでもなんの不満もなかった。

「なにをするよりも、仏を彫っていることが一番楽しかったんで。やればやるほど上手くなるし、仏を彫ること以外は見えなかったです」

宮本さん提供
弟子時代に彫った十一面観音

修業8年目の絶望

わき目もふらず修業を重ねて8年目の2014年、宮本さんは絶望する。

その年の夏、奈良国立博物館で「国宝 醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教―」が開催された。そこで展示されていたのが、鎌倉時代の仏師、快慶作の弥勒菩薩坐像。「すべてが完璧。とにかく美しい。一番好きな仏像」と絶賛する宮本さんは、仏師の仕事に就いて以来、常に弥勒菩薩坐像を意識して仏像を彫ってきた。

そして、自分の腕がめきめきと上達するのを実感しながら、「ある程度、メソッドがわかった。あと10年、20年したら快慶さんの領域にいける」と感じていた。

「仏師にとって左右対称、シンメトリーを取るっていうのは大事な要素なんですけど、快慶さんはシンメトリーのバランス力がずば抜けているんです。僕もシンメトリーを取る技術に関しては自信を持っていたんで、快慶さんのレベルに達することをモチベーションにしていました」

普段、弥勒菩薩坐像が安置されている京都の醍醐寺では間近で見ることができず、いつも双眼鏡で眺めていた宮本さんは、奈良国立博物館で初めて近距離から観察することができた。2日間通い、連日4、5時間、あらゆる角度から弥勒菩薩坐像を凝視して気づいたのは、「ずれている」ことだった。目じりも、頬のふくらみも、よくよく見たら正確なシンメトリーではない。むしろ、「めちゃくちゃずれてるやん……」。