ファッションと仏像彫刻がカチンとはまった瞬間
それからは、清水寺の観光案内所で夕方までアルバイトをした後、工房に行って深夜まで手伝うという生活が、3カ月ほど続いた。肉体的にはハードだったが、その間ずっと、「楽しい」という気持ちが続いた。
宮本さんが絵筆を握るかたわらでは、仏師が別の仏像を彫っていた。3カ月間、興味深くその様子を見てきた宮本さんは、服作りとの共通点に気づいてゆく。
「例えば、布のドレープ表現。仏さまはドレープがかかった優雅な布をまとわれていますよね。僕はファッションを学ぶ過程でドレープについては頭に叩き込まれています。それに仏像は人体構造をデフォルメしているので、人体構造の知識も必要です。服は人体を美しく見せる装置なので、人体を研究しなければいけません。僕は不真面目な学生でしたけど、人体の美しさに魅了されて、自分なりに研究していました」
ファッションで学んだことが、仏像彫刻に活かせる。それはまるで、歯車がカチンとはまって回り出す音が聞こえるようだった。彩色の仕事が終わったその日、宮本さんは仏師に頭を下げた。
「僕もこの世界でやっていきたいです。弟子にしてください」
仏師と位牌師のもとで
2006年、25歳の春にアルバイトを辞めて弟子入り。彫刻刀を手にするのは小中学校の授業以来で、ゼロからのスタートだった。最初に任されたのは、修理の依頼があった仏像を解体してきれいに洗うことと、光背(後光)と呼ばれる、神仏が発する光明を視覚化したパーツに使用する竹串を削って先細らせる作業。
これだけで給料をもらうのは申し訳ない、早く戦力になりたいと思った宮本さんは、仕事が終わった後、工房から持ち帰った木の切れ端を使って、見よう見まねで仏さまの手や顔を彫った。
3カ月もすると、位牌師の師匠から手ほどきを受けた。宮本さんによると、位牌には「地紋彫り」という彫刻の基礎が詰まっていて、仏師の卵はいきなり仏像に触れられないため、位牌の「地紋彫り」から学ぶことも多いそう。宮本さんも朝から晩まで「地紋彫り」をして、その後に仏師の師匠から指導を受けた。
仏師と位牌師の兄弟が近くにいたことは、とてつもない幸運だった。職人の修行には「技を見て盗む」というイメージがあるが、宮本さんの師匠にあたる兄弟はまったく違うアプローチで弟子に接した。