京都市内にある工房「宮本工藝」の代表・宮本我休さんは、全国の社寺などから依頼を受け、仏像彫刻や修復を行っている。ファッションデザイナーを目指して上京し、フリーターを経て、「SNSで注目される京仏師」になった。異色の経歴を持つ宮本さんの彫る仏像は、なぜ若い人たちの心をつかむのか。その理由を、フリーライターの川内イオさんが取材した――。
京仏師の宮本我休さん
筆者撮影
京仏師の宮本我休さん

SNSのフォロワー合計6万人を抱える異色の仏師

「清水の舞台」の言葉で知られる清水寺、京都最古の神社のひとつ賀茂御祖神社(下鴨神社)、狩野永徳筆の障壁画や千利休がデザインしたと伝わる庭を有する大徳寺聚光院……。誰もが名を知るような寺社をはじめ、全国にクライアントを持つ仏師、宮本我休。仏師とは、仏像を彫ったり、修復したりする職人を指し、平安時代から存在する。何代にもわたって伝統技術を受け継ぐ仏師もいるなかで、宮本さんは異色だ。

大本山大徳寺聚光院の喜多方別院に納めた韋駄天
宮本さん提供
大本山大徳寺聚光院の喜多方別院に納めた韋駄天

東京のファッションの専門学校に特待生として入学するも、休学。故郷の京都に戻り、安アパートに住んでフリーターをしながら燻っていた時、縁あって仏師のもとを訪ねた。そこで電撃的に仏師の仕事に魅せられ、25歳で弟子入りする。

9年間の修行を経て34歳で独立した宮本さんは今、人体構造の知識や繊細なドレープの表現などファッション業界で学んだ技能を駆使して、唯一無二の仏像を生み出す。凛とした佇まいのなかに色気や艶を感じさせる仏像は、寺社のみならず国内外の個人からもオファーが殺到。最も時間のかかる注文は2041年、なんと60歳の時に納品することになっているという。

現在、X(旧ツイッター)、インスタグラムなどSNSのフォロワー合計6万人を抱える新時代の仏師はしかし、独立に恐れを抱いたこともあれば、まったく仕事がなく食い詰めた時期もあった。そのたびに、なにかに導かれるように道が拓け、今につながる。その道を、たどろう。

大本山大徳寺聚光院の喜多方別院に納めた韋駄天
宮本さん提供
大本山大徳寺聚光院の喜多方別院に納めた韋駄天