それなのに、少し離れて見ると、すべてを超越したような神々しさがある。快慶の真骨頂はシンメトリーだと思っていたのに、そうじゃなかった。では、なにかと問われると、答えがまったく思い浮かばない。「おれにもできる」と信じてきた宮本さんは、「こんな世界があったのか……」と打ちのめされて、自分の作品を造ることをやめてしまった。自分の実力にも懐疑的になり、「独立するのはやめよう」と考え始めた。

ちょうどその頃、当時付き合っていた女性(現在の妻)と、奈良の明神平に登山に行った。頂上付近にテントを張り、そのなかで探し物をしていたら、外にいた彼女が「うわ、鳥が出てきた!」と声をあげた。なんのことかと思ってテントから出ると、山の稜線りょうせんから巨大な鳳凰に似た形の雲が、飛び立つように上昇していくのが見えた。その雲を見ていたら、こう言われている気がした。

「迷わず、飛べ。怖がらずに、いけ」

その日、宮本さんは独立と結婚を決めた。

登山中に目撃した鳳凰のような雲
宮本さん提供
登山中に目撃した鳳凰のような雲

「だるまさん」が苦境を脱するきっかけに

2015年4月、34歳で独立。「宮本工藝」の屋号には、鳳凰の雲をトレースしたものを自らデザインし、やる気をみなぎらせた。しかし、肝心の仕事がない。お寺が仏像を新調するのは、数百年に一度。その機会をなんの実績もない、独立したばかりの男に与えるお人好しはいなかった。師匠の仕事を荒らすわけにはいかないと、師匠と取り引きのない東京の仏具屋を10軒ほど回ったが、リアクションはゼロだった。

結婚に際し、大胆にも35年ローンを組んで一軒家を購入した宮本さんは、自宅の一室を工房にしていた。やることもなく工房で過ごしていると、「世の中に自分の存在を知ってもらわなあかん。でもどうしよう……」と焦りが募る。

独立して半年、師匠からまわしてもらった仕事で細々と食いつないでいたある日、工房で父親からもらった達磨大師の掛け軸をぼーっと眺めているうちに、思い立った。

「だるまさんといえば、誰もがあのコロンとした姿形を思い浮かべる。仏像のなかで市民権を得ている形ってだるまさんしかないな。これを僕なりにアレンジして発表したら、振り向いてもらえるかもしれない」

妻にプロポーズする時に贈ったマリア観音
宮本さん提供
妻にプロポーズする時に贈ったマリア観音