金正男の来日情報を一番に摑めなかった公安警察
国際的に見れば、CIAやMI6といった対外情報機関の日本側のカウンターパート、つまり、日本側の同等の組織は、公安警察、内調、公安調査庁のどれなのかがはっきりとしない。そんなことから、海外の情報機関から日本に絡んだ重大な情報がもたらされても、それをうまく活かしきれずに失態が起きることもある。
その象徴的な例が、2001年5月の金正男の来日事件だ。当時、北朝鮮の最高指導者だった金正日労働党総書記の長男である金正男と見られる男が、新東京国際空港(現・成田国際空港)の入国管理局で拘束された。ドミニカ共和国の偽造パスポートを所持し、妻子とともに、中国語の名前(胖熊)を使って入国しようとした。日本政府は当時、小泉純一郎が首相で、田中眞紀子が外相だった。
この時、金正男が来日することを最初に日本に報告してきたのは、イギリスのMI6だった。MI6はその来日情報を公安調査庁へ一番に知らせた。つまり、MI6は公安調査庁をカウンターパートと見ていたことになる。公安調査庁の職員が、MI6ときちんとパイプを構築していたということもあったのだろう。実は、公安警察も、金正男が来日する情報は別ルートで摑んだが、公安調査庁の情報のほうが一足、早かったのである。
公安調査庁がさらした「あり得ない失態」
結局、日本政府は、外交問題に発展することを懸念して、政治判断によって金正男の一行を国外退去処分にすることを決めた。つまり、入国拒否をして帰らせることにしたのである。
私はこのケースについて、いまだに惜しいことをしたと考えている。もし最初に情報が公安警察にもたらされていたとしたら、おそらく金正男を泳がせて、どこに立ち寄るのかなど行動を調べて、日本側の関係者を特定しようとしたはずだ。さらには、毛髪からDNA情報も確保できたかもしれない。それ以外にも、北朝鮮の金の流れの情報を集めることができたかもしれない。金正男からいろいろな情報が収集できたはずだったが、結果的に、そのまま帰国させてしまうというあり得ない失態をさらした。
この金正男のケースに限らず、海外では私が属していた外事警察はあくまで「法執行機関」であるために、アフリカ某国に赴任中に各国の情報機関関係者が集まるブリーフィング(説明会)にも呼ばれないこともあった。私は警察官であり、情報機関のコミュニティには加えてもらえないもどかしさがあった。しかも、それによって、世界各地で、ことあるごとに情報機関が共有するような情報が得られないことも少なくないのである。それは国家にとっては損失ではないだろうか。