内閣支持率は「終焉パターン」を辿っている
このように企業の「トップ広報」ですら難易度が高い。総理という「国のトップの広報」となれば、なおさらだ。
総理が記者に問い詰められる機会は、経営者の比ではない。記者に加え、野党にも追及され、SNSでも常に批判の目に晒される。「総理自身が心の底から信じている旗」でなければ、到底通用しないのだ。
さて、これから岸田総理が低迷する支持率を挽回し、上昇機運に乗せることはできるのだろうか。歴代内閣の支持率の推移を見ると、就任直後が最も高く、その後、細かな上下動を繰り返しながらも下降線を辿り、そのまま終焉を迎えるケースが圧倒的だ。岸田内閣の支持率は、まさに「終焉パターン」を辿っている。
だが、岸田総理にとって「希望の光」となるような、ほぼ唯一の「挽回劇」が存在する。1998年7月に就任した小渕恵三総理だ。
就任時はニューヨーク・タイムズ紙に「冷めたピザ」と酷評され、支持率は時事通信の調査によると、過去2番目に低い24.8%と散々な船出だった。だが、小渕内閣の支持率は緩やかに上昇を続け、就任翌年には47.6%を記録するまでになった。
支持率24.8%、小渕総理の「挽回劇」
私がテレビ東京に入社後、記者としてのスタートは小渕総理の「番記者(=担当記者)」だった。「番記者」は総理の影のように張り付くのが仕事だが、小渕総理は、土日祝日は必ず地方視察に飛び回る。
テレビ東京は少人数ゆえ、他社のように総理番の交代要員がいない。それゆえ、私はひとりで小渕総理を追いかけていた。あまりにハードな日程に、20代半ばの私でも体力的にかなりきつかった記憶がある。
小渕総理に「見た目の華やかさ」や「メディア受けする言葉を発するキレ」はない。だが、テレビ画面を通して伝わる「率直で飾らない言葉」「愚直な仕事ぶり」が徐々に評価されるようになり、支持率は上向きに転じるようになった。
政権発足から2年が過ぎ、低支持率に喘ぐ岸田総理に残された時間は、それほど長くないようにも思える。だが、岸田総理に今こそ必要なのは、「国民受けする所得税減税で一発逆転」という安易な発想ではなく、もう一度、自分がなぜ政治家を志したかを見つめ直し、心から信じることができる「旗」を掲げ直すことだろう。そのうえで、愚直に仕事に取り組む姿を見せることではないだろうか。