「このまま続けていたら詐欺師になってしまう」

しかし、彼は反省した。もともと田舎育ちで人のいいところがある彼にとって高額な教材販売や温水器の販売を続けることには耐えられなかった。インチキ商品とはいわないが、消費者にとっては負担の大きい金額だ。そして、それを簡単に売ってしまう自分の才能にも恐れを抱いた。

「このまま続けていたら、しまいには詐欺師になってしまう」

彼はDJ志望だ。詐欺師になる勉強をしてはいけないと反省し、3年目からは職種を低賃金長時間労働に変えた。

3年目は自動販売機の設置、4年目はチリ紙交換、卒業する年は新宿・歌舞伎町のゲーム喫茶店店長である。しかし、営業の才能は隠せなかった。自動販売機の設置でもチリ紙交換でもカイゼンとくふうを続けることでナンバーワン営業マンになってしまったのである。

そこで、卒業する年は営業職から離れて喫茶店店長になることにした。報酬は1カ月で30万円。3カ月やれば、なんとかアメリカへ行って卒業までの学費を払うことができる。

ところが、一見、地味に見える仕事に落とし穴があった。

彼はため息をつきながら、わたしに打ち明けた。もう時効だからいいかと付け加えながら、である。

筆者提供
札幌市にあるシンセン本社

ある日突然、警察が踏み込んできて…

「実はゲーム喫茶のオーナーはポーカーゲームの機械屋で闇カジノやってたんですよ。喫茶店はコーヒーを売るよりポーカーゲームのコインを両替していて、その手数料で儲けていました。

オーナーに言われました。『おい、学生、黙ってたら分け前やる』と結構なお金の小遣いをもらってたんです。そして、2カ月が経ったある日のこと、突然、警察に踏み込まれて、僕も逮捕されちゃいました。8日間も留置場にいたんです。そうですね。同窓じゃない、同室の人は爆弾魔と思いっきり、やくざの人。でも、ふたりはよくしてくれました。

爆弾魔さんからは爆弾のつくり方を教わりましたし。ええ、作ってませんけど。でも、僕は何もしていなかったから、起訴猶予、賞罰なしで放免されました」

留置場にいたことは今でも両親には内緒だ。しかし、本稿で暴露される。

さて、24歳で帰国した彼は札幌に戻り、地元の放送局にディクシー大学のディプロマ(卒業証書)を提出した。ところが、どの放送局も「アメリカの大学は日本の大学ではない」と就職試験を受けることもできなかった。

意気消沈した彼は歌志内へ戻り、実家で英会話教室を始める。すると、同市内で英語がしゃべれるのは彼ひとりしかいなかったこともあって教室は大盛況。放送局の初任給の2倍くらいの金を稼ぐことができたのである。

さて、その後は途中をすっ飛ばして話を進める。