ヘーゲルの頃のドイツは弱小国家だった

【茂木】ヘーゲル前後の19世紀のドイツ思想は、ドイツが置かれていた歴史的な段階を踏まえたものだと思います。当時のドイツは本当に弱小国家で、小さな国の寄せ集めでした。何十という小国があり、その中で大きめな国がプロイセンでした。隣にフランスという大国があり、向こうにイギリスがあった。そのフランスで革命(「フランス革命」1789~99年)が起きます。隣国の混乱を収めようとプロイセン+オーストリアが出兵しますが、ボコボコにやられてしまいます。反対に、ナポレオン・ボナパルトに攻め込まれてしまい、全ドイツの国々がフランス軍に蹂躙されます。

それからもう1つは、海の向こうのイギリスで起こっていた「産業革命」です。これにより、経済において圧倒的にイギリスが優勢となり、まともに貿易をしたらドイツ国内の産業が育たない、という事態になりました。

このフランス革命とイギリスの産業革命という衝撃にドイツが立ち向かうときに、「バラバラではダメだから、ひとつにまとまろう」という機運が高まります。そして、まずは経済的にまとまろうとなった。フリードリッヒ・リストが唱えた「ドイツ関税同盟」です。次に、政治的にまとめたのがオットー・フォン・ビスマルクです。

今風に言うと、当時のドイツは、グローバリズムにさらされていたのです。思想的にはフランス革命、経済的にはイギリスの産業革命ですが、それに対抗するためには「ドイツ国家」という防波堤をつくるしかなかった。だから当時のドイツ哲学は、非常に国家主義的になっていったのです。

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ドイツが19世紀にやっていたようなことをしている

【松本】私も、なぜヘーゲルは個人をないがしろにして、国家を重んじるのだろうと疑問でした。ヘーゲル哲学は、後の19世紀後半の帝国主義、20世紀の全体主義へとつながる思想になってしまうのですが、「当時のドイツが弱小国だった」という補助線を引くと理解できます。

【茂木】もっとはっきり言うと、当時のドイツは途上国でした。ビスマルクがやったことは、開発独裁の先がけです。その意味では、同じ途上国であるロシアにとって、ドイツ哲学は非常に親和性が高い。

【松本】ドイツが19世紀にやっていたようなことを、ロシアは20世紀、21世紀と遅ればせながらやっている……。

【茂木】「ロシア革命」(1917年にロシア帝国で起きた2度の革命)も、グローバリズムに対抗するという意味があったと思います。外資の規制をやり、国営化をやり、と。ところが大失敗に終わってしまい、約1世紀という時間を、ロシアは無駄にしてしまいます。