※本稿は、茂木誠・松本誠一郎『“いまの世界”がわかる哲学&近現代史 プーチン、全体主義、保守主義』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
「半世紀後は、そもそも国自体があるのか」ロシア人が持つ恐怖心
【松本】先行き不透明なウクライナ紛争が続いていますが、その原因を考察するうえで、茂木先生と私でプーチンの思想と彼が影響を受けたであろうドイツ哲学についてお話ししていきたいと思います。
まず、プーチンの政策はロシアの風土と何かしらの関係があるのではないか。茂木先生、これまでのロシア史から見て、ロシア人は強力な指導者が好きなのでしょうか?
【茂木】ロシアにおける強権政治と拡張主義の根底にあるのは、「恐怖心」だと思います。歴史上、どれだけの侵略をロシアが受けてきたか。例えば、モンゴル人から、ポーランド人から、ドイツ人から……。まるで虐待されて育った子供のように「強くなりたい!」という、駆り立てる気持ちがロシア人の内面にあると思うのです。
【松本】実際、プーチンの演説を聞いていると、強気な発言をしているかと思いきや、「ロシアの人口は実はそれほど多くない」とか「決して多くない人口で広大な国土を守らなくてはならない」とか、あるいは「軍事力には限界がある」とか、弱気ともとれるようなことを吐露しています。それらの発言は、ロシアのリアリズムなのかもしれませんね。
【茂木】例えば、「日本は少子高齢化で、半世紀後にどうなってしまうのか」――という心配をしている人たちがいますが、それを言ったら「半世紀後のロシアは、そもそも国自体があるのか」――。「今、何か手を打たないと、この国がなくなってしまう」という恐怖心が、プーチンの心の奥底にはあるはずです。
【松本】なるほど。「恐怖心」がプーチンを突き動かしている大本であるということですね。
プーチンは時代遅れなのかもしれない
【松本】近代哲学の中で「国家論」といえば、ドイツの哲学者フリードリヒ・ヘーゲルです。ヘーゲルは国家について、「国家とは精神を体現したものであり、個人よりも上位概念であり、たとえ個人が踏みつぶされることがあっても、国家が自らにとって善と思うことは成し遂げられねばならない」としました。このような、個人の実存に重きを置かない哲学を見た場合、現在のプーチンが行っている政策も、実はそれほど違和感がないようにも見えます。
ただしヘーゲルが活躍したのは主に19世紀前半であり、その哲学に則って19世紀後半から帝国主義が始まったということを考えれば、プーチンは時代遅れなのかもしれません。
このようなヘーゲル哲学、これを体現したかのようなプーチンを見た場合、「戦争は善悪を語るものではない」とよく言われますが、茂木先生はどのようにお考えでしょうか?