小さな調理場から、7年連続金賞受賞中
「マーマレードはこの場所で全部ひとりで作ってるんですよ」
通されたのは、自宅の脇に建てられた小さな作業場だった。イメージは「料理好きな主夫のキッチン」。家庭用の鍋やザルなどの調理器具が並び、二口コンロに冷蔵庫。この小さなキッチンで、7年連続、合計23個の世界金賞受賞作が生まれた。
江南さんが現在販売中のマーマレードを運んできてくれた。オレンジ、緑、赤など色とりどりのマーマレードの瓶には、すべて世界大会の受賞シールが貼られている。
アルバイトや社員はいない。ここでマーマレードの製作からラベル貼りまですべてひとりで対応している。そのため、一日に作れるのは25個程度だ。
「昔からものづくりが好きでした。機械いじりだけじゃなく、土いじりも、料理も好きで。家庭科の通信簿は常に10。小学校の頃は母にドーナツを作ったりするような子どもでした」
1970年、江南さんは三重県名張市に生まれた。言葉には少し関西弁が混じる。機械、料理、園芸などジャンルを問わず、「できないをできるに変える」ことが、昔から大好きだったという。
同志社大学工学部を卒業し、1993年、新卒で静岡県浜松市に本部のある自動車メーカーのスズキに、エンジニアとして入社した。
「スズキに入った理由も機械いじりが好きだっていう単純な理由だし、みかんもそう。きっかけってなんでもいいんですよね。興味や縁があって、その世界に腰を据えて取り組めば、あとは努力次第なんです」
今は笑ってそう語る江南さんだったが、会社員時代には過労とストレスで何度も倒れ、死ぬことばかり考えていた時期もあった。
設計一筋の「モーレツ会社員」だった
江南さんはスズキで24年間、設計一筋で働いた。スイフト、アルト、エブリイ、エスクード……名だたる車種の設計にはすべて携わり、入社して17年目には開発の最先端、先行開発を手掛ける部署のリーダーになっていた。
「自分で設計したギアボックスを持って、ロードテストでいろいろな国を回りました。どんな風に適合したら乗り心地よく感じるか、現地で試行錯誤して。そうこうしているうちに設計から抜けられなくなって、先行開発を引き受けるようになりました。できるかできないかわからない、できたとしても、商品として実現可能なのか。それを確認して、解き明かして技術的に崩して、次の設計部署に渡す。それが自分の仕事になっていました」