今や太平洋戦争時代も「歴史」の範囲
業界内では歴史・時代の区分は明確ですが、一般の読者が両者を厳密に区分しているわけではありません。新聞やテレビなどでは歴史小説を「時代小説」ということもありますし、その逆もあります。そこをあえて私たちが否定するべきものでもないですし、厳密な定義にこだわる必要もないと考えています。
この本では、話をわかりやすくする便宜上、基本的には歴史小説と時代小説を合わせて「歴史小説」と記述することにします。
では、歴史小説がテーマとする「歴史」は、いつまでを指すのでしょうか。
10年ほど前までは、大正時代までが歴史小説と現代小説の境界線という解釈が一般的だったように思います。出来事でいえば、日露戦争や第一次世界大戦、関東大震災くらいまでが歴史小説の範疇という感じです。
しかし最近、特に令和以降は、昭和期の太平洋戦争を扱った作品も歴史小説とみなされるようになってきました。それまで太平洋戦争を描いた小説は、「戦争小説」という別ジャンルに括られていましたが、徐々に歴史小説に吸収された印象があります。いよいよ昭和も歴史になったわけです。
その意味では、ゼロ戦の特攻パイロットを描いてベストセラーとなった『永遠の0』(百田尚樹著、講談社文庫)も歴史小説といえるのでしょうし、このペースでいけば、令和が終わる頃には平成時代が歴史小説の範疇になっている可能性さえあります。
米軍占領時代を境に起きた日本史の「断絶」
けれども、私の予想では平成という時代はいつまで経っても歴史小説の雰囲気を持たないような気がしています。というのも、日本という国や日本人を大きく変えた出来事がいくつかある中で、史上最大の変化が起きたのは第二次世界大戦後だと考えているからです。
私は戦後の歴史を「新日本の歴史」と捉えています。だから、戦後の史実に基づいた小説は新歴史小説ではあるけれど、オーソドックスな歴史小説とは別物であるように思うのです。
日本の歴史を時系列で見ていくと、「この出来事があったからこうなってきた」というつながりを発見できます。しかし、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領時代の頃から、そのつながりは断絶したように見えます。占領期間以降の日本は、良くも悪くも日本人が日本人らしくなくなる時代に突入しています。