『真田太平記』は歴史小説、『鬼平犯科帳』は時代小説
もともと歴史小説と時代小説は、ほとんど同じものとされていました。戦後間もない頃まで歴史小説・時代小説の区分はあいまいで、どちらとも分類できない作品や、両方を執筆する書き手もたくさんいました。歴史を題材にした小説をひっくるめて、歴史小説とか時代小説と呼んでいたのです。
しかし、あるときから急に少しずつ両者が分かれ始め、いつの間にか歴史小説の書き手と時代小説の書き手が別物と分類されるようになりました。それぞれが専業化していき、いずれか一方しか書かない作家が増えてきたのです。
戦後に活躍した作家の中で、歴史・時代の両方で成功した書き手は池波正太郎くらいだと思います。池波作品を例に挙げれば、『真田太平記』は歴史小説、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』は時代小説ということになります。
司馬遼太郎は初期作品こそ時代小説の雰囲気がありましたが、中期以降は完全に歴史小説に特化していますし、藤沢周平は完全に時代小説に特化しています。
山田風太郎は時代小説寄りで、陳舜臣や宮城谷昌光は歴史寄り。髙田郁、佐伯泰英といった書き手は時代小説で、天野純希、木下昌輝、澤田瞳子は歴史小説。こんな具合に、どちらかに寄る傾向が顕著となっています。
池波作品の愛読で自然に身についた「二刀流」
私自身は、中高生の頃、両者のごちゃまぜ時代の書き手にどっぷり耽溺したおかげで、歴史小説と時代小説の違いをあまり意識しないまま、プロの書き手となりました。
結果的に、今では珍しい歴史小説と時代小説の二刀流になっています。過去の作品でいうと、『童の神』『八本目の槍』『じんかん』などは歴史小説に、『羽州ぼろ鳶組』や『くらまし屋稼業』シリーズは時代小説に分類されます。
もしかすると、歴史小説と時代小説の違いは、お笑いでいうところのピン芸(単身での活動)と漫才の違いのようなものかもしれません。お笑いの世界では漫才に特化している芸人さんもいれば、ピン芸に特化している人もいます。ただ、ときどき漫才コンビの1人がピン芸を披露したり、ピン芸人がユニットを組んでM-1グランプリにチャレンジしたりすることもあります。
私にしてみれば、「ああ、今日の池波先生はピンでやっている」「今日はコンビで出ている」という感覚で池波先生の作品に親しんできたので、特殊な訓練を経なくても両方できるようになりました。