母の恐れ、的中する

趙括は幼少より兵法を学び、天下に自分にかなう者はいないと自負しており、父と軍略について論じあい、言い負かしたことさえあった。しかし、趙奢はわが子を認めていなかった。妻からその理由を問われたとき、趙奢は言った。

「戦いは生きるか死ぬかの瀬戸際だ。それを括めは無造作に論じおる。趙の国がもし括を大将にするようなことがあれば、趙の軍は破滅を免れないにちがいない」

ゆえに趙括が出陣するにあたり、彼女は王に書簡を送り、命令を撤回するように申し入れた。王からその理由を問われると、彼女はこう返答した。

「趙奢には自分で食事や酒肴をすすめる者が何十人もおり、友人のように付き合う者が何百人もいました。王様のご一門からいただきました物は、すべて軍の役人や士、大夫たいふたちに分け与え、自分の懐には一切入れませんでした。しかし、せがれはまったく父の道を歩んでおりません。軍の役人や士、大夫たちに対して、あくまで主人としてふるまい、王様からいただいた物はすべて持ち帰って、しまいこみ、毎日、買えそうな田畑、屋敷はないかと物色しております。父と子で、これほど心の持ちようが違っております。どうか総大将にするのはおやめください。もしどうしてもお遣わしになるのなら、どのような事態になっても、罪をわたくしに及ぼさないようお願い申しあげます」

趙の王は承諾した。

趙括は廉頗と交代したのち、すべての決まりを改め、軍の役人も配置も変えた。

秦ではそれを知ると、白起を総大将とし、そのことを漏らした者は死刑にすると、全軍に布告した。

白起は正面の自軍をわざと敗走させて敵を誘い出し、別動隊を使って趙軍を二つに分断するとともに、糧道を絶ち切った。秦の昭王は趙軍が罠にかかったと聞くや、みずから河内に赴き、そこに住む趙の住民にそれぞれ秦の爵位を与えた。同時に、15歳以上の男子すべてを徴発し、趙の本国からの救援軍と食糧の輸送を阻ませた。

分断包囲されること46日、趙の軍では食糧が底をついたことから、互いに殺しあい、その肉を食べていた。なんとか包囲を破ろうと、兵を4隊に分け、4度、5度と突撃をくり返したが、いずれも失敗に終わった。趙括は精鋭を率いてみずから斬り込んでいったところを射殺された。ここに至り、趙の兵士40万人が白起に降伏した。

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このとき、白起は考えた。

「さきに秦は上党じょうとうを攻め落としたが、上党の住民は秦の支配を喜ばず、趙に帰服した。趙の兵たちも裏切るにちがいない。皆殺しにしておかなければ、反乱をおこす恐れがある」

そこで白起は彼らをだまし、殺して穴埋めにした。年少の者240人だけは趙へ返してやった。この戦いで死んだ趙兵の数は合わせて45万人に及んだ。趙の王は大きな衝撃を受けたが、さきの約束があるので、趙括の母親を罰することはなかった。