人文書という世界の外側へ出たい
――増補版のカバーデザインは、哲学書や思想書とは思えないポップなものですね。
【東】ぼくは一貫して、思想書や人文書の読者を広げたいと考えてきました。1998年に最初の著書(『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』新潮社)を出して以来、四半世紀にわたって「人文書という狭い世界の外側へ出たい」と言いつづけてきました。特にここ数年は、その思いがより強くなりました。
例えば紀伊國屋じんぶん大賞の順位を見ても、最近は政治運動に関する本が評判がいいですね。ぼくの世代にとって、人文書を読むのは、むしろそういう政治から距離をとるというか、時代から少し離れてものを考えるためでした。
現在は状況がすっかり変わり、「私の苦しみをどう解決してくれるの?」「同じ苦しみを抱えている人いるの?」という訴えに寄り添う姿勢が人文書に求められている。それはそれでいいのですが、ぼくの本はそうじゃないので、困ったなと思っています。
正直にいうと、ぼくの読者がどこにいるか、いまはもうあまりわからないんです。読者なんていないのかもしれない。けれども、世の中の動きにすぐ対応するのではなく、少し離れた時間感覚で物事を考えるのが大事だと感じている人がいるとすれば、そんなひとに読んでもらいたいと思っています。
谷崎潤一郎はなぜ、戦時中に『細雪』を書いたのか
――歴史上、知識人や言論人が世の中の流れに抗えたことはあるのでしょうか。
【東】抗えた試しはありません。ただ、抗えないまでも、時代の流れから距離をとった人たちはいます。
よく例に出るのが、谷崎潤一郎が第2次大戦中に『細雪』を「中央公論」に発表していたという話です。じつは同じ時期の「中央公論」には、京都学派による座談会「世界史的立場と日本」が掲載されていたりしたんですね。日本の戦争を支持する流れができて盛り上がる中、『細雪』は1943年に連載がはじまったのですが、軍の圧力で中断させられてしまう。
以前は、谷崎が『細雪』を書いたのは戦争へのある種の抵抗だったと聞いても、実はいまいちピンとこなかったんですね。でも最近、すごくわかるようになった。
戦争のような大きな流れの外に身を置くことはなかなか理解されませんし、平和ボケと言われます。それでも、距離をとる人間がいないとダメだと思うんですね。一方向の流れに抵抗するのでなく、興味のないふりをしてしれっと別のことをやりつづける距離感も大切なんだなと。
ぼくはよくシニカルで現実逃避だと言われますけど、そんなことを言ったら、どの時代も知識人はシニカルで現実逃避だと受け取られることをやってきたのだと思います。『細雪』然りです。実はそういう目線で書かれた本こそ、時代を超えて長く読まれるのではないでしょうか。