「天皇」を失った日本に、キリスト教が入ってきた
(前編から続く)
【島薗】『証し』を読んでいると、日本の戦後のキリスト教には、こんなに勢いがあったのだと驚きます。
【最相】私も取材して驚きました。戦後まもなくアメリカの若者たちが宣教師としてどんどん入って支援物資を配ったり、学校や病院をつくったりしていました。
【島薗】私の母は、どうやら戦中は「日本は戦争に勝つ」と信じていたようです。しかし戦争に負けてしまった。母は、戦後生まれの私をキリスト教の幼稚園に入れたのですが、そこには大きな心境の変化があったのではないかなと思うんです。
【最相】天皇という拠り所を失った日本に、キリスト教が入ってきたんですよね。しかしなぜ日本でキリスト教は普及しなかったのでしょうか? 今日、島薗先生にお聞きしたいと思っていました。
なぜ日本人はクリスチャンにならなかったのか
【島薗】日本のキリスト教との関係で考えなければいけないのは、新宗教の存在ですね。新宗教とは、江戸末期以降に創始された信仰集団ですが、1960年代までが発展期です。初期のものとして、農民が創始した天理教、金光教があります。天理教は戦前には公称600万人に信仰されており、今の創価学会を見ても、選挙の際にはつねに10パーセント以上の議席を取る力があります。
日本においては、明治維新から百数年の間に、庶民が苦難の中で見出していく宗教として、新宗教が主流になったといえます。一方、キリスト教は、やや上層の人たち、かつて儒学を学んだ武士のような層――内村鑑三が代表的ですね――がキリスト教徒になっていきました。
【最相】つまり新宗教の存在が、本来だったらキリスト教に降りてくるかもしれない人々を抱えたのですね。
島薗先生の新刊『なぜ「救い」を求めるのか』(NHK出版)を拝読すると、キリスト教、仏教、イスラム教を代表とする宗教を「救済宗教」と呼んでいらっしゃいますね。「信じるものは救われる」、すなわち救いを重視している。一方で日本の新宗教はこの世で幸せになろうとする「現世肯定的」な傾向が強いと書かれています。日本では、現世肯定的なほうが受け入れられやすかったということでしょうか。