お寺や教会の役割も自然と変わっていく

【最相】そうしたところに宗教者の役割は残るということですね。これからの宗教の在り方を考えると、中心になって導く人たちが、教団を支配するようなトップダウン型ではなく、自ら社会に出かけていくアウトリーチの活動に力を入れるようになっていくのだと思います。

【島薗】お寺や教会がやっている子ども食堂とか介護カフェなど新しい動きです。そうした活動は、宗教が今までもってきた共感力や、人の弱さをくみ取る力を、社会に生かすような方向性だと思いますね。

【最相】実際に、路上生活者や、外国人労働者の方を招いた集い、子ども食堂などの活動を積極的にされている教会は多くあります。

【島薗】外国の方、弱い立場の人、LGBTQといったマイノリティへの居場所になるだけではなく、自ずからお互いが支えあう力に、教会が寄与するという形になっていくといいですよね。

最相葉月氏と島薗進氏
撮影=髙須力
『証し』では、「教会に人を引き付ける力がない」「日本の教会はこれまでの体制では継続できない」と危機感を抱えるキリスト者も登場する

迷いながら信仰を続ける現代のクリスチャン

【島薗】このような状況の中、日本のキリスト教は、だいたいが小さい集団で、いつも外の目にさらされています。常に相対化を免れない人たちが多いのです。『証し』を拝読していても、若い人であればあるほど、その傾向が強くなっていると感じました。無宗教の人に近い感覚があるように思いますね。自己を相対化せざるを得ない中で、なお信仰を持つとはどういうことなのか? が書かれていると思います。

【最相】私も取材をしながら非常に感じていたことです。具恩恵(クウネ。前編を参照。最相さんがキリスト教に興味を持つきっかけになった中国の朝鮮族の友人)の信仰を見ていたこともあり、もっとキリスト教を盲目的に信じている人が多いのだと思い込んでいました。でもそうした人は本当に少数派で、自分の信仰の迷いを口にされる方のほうが多かった。

親から宗教を受け継いだ方たちも、さまざまな葛藤をしています。ある牧師は、「教会から一番遠い場所に行ってみようと思って、中野のキャバクラで働きはじめました。ところが、キャバクラってところは、どちらかといえば教会に近い世界でした」とお話しされていました。

【島薗】一度離れて、新しい形で戻る経験をされたわけですね。いま「宗教二世」や「カルト」問題に注目が集まっていますが、「宗教二世」と言われてイメージされるような方とは違った育ち方をしていますよね。

宗教的な環境に育った人がみんな同じ状況なわけではない。特に日本ではオウム事件を経験しているので、布教がかなりソフトになった経緯があるんです。そんな中で、強引な布教を続けていた代表が、統一教会やエホバの証人だったといえます。