AIは人間に近づけようとするほど厄介になっていく

あとぼくは、いま問題になっているAIのハルシネーション(幻覚、もっともらしいウソ)は原理的に改善されないと思っています。なぜかといえば、そもそも人間がもっともらしいウソをつくからです。AIを人間に近づけるというのは、そういう人間の厄介さも近づくということです。

AIを人間に近づけようとすればするほど人間の抱える厄介さに直面するということは、もっと強調されてよいと思います。人間を相手にする仕事は厄介なものです。怒るし、嘘をつくし、問い詰めたらキレるしで面倒くさい。そんな“うざい”人間から解放されるためにAIを開発しているのに、人間に近づけるのはその意味ではパラドックスです。

いいかえれば、これから問われるのは、むしろ人間とは何かという問題になると思っています。これからはAIがもっともらしい文章や美しい絵やすばらしい音楽を生成することになるでしょうが、それによって逆に、われわれにとって美とは何だったのか、真理とは何だったのか、信頼とは何だったのか、が問われてくる。どれだけ技術が進んでも、その謎は解けません。

『ゲンロン』が並ぶ書架
撮影=西田香織

世の中のすべてが見えるのはいいことではない

――2017年に『ゲンロン0 観光客の哲学』が発売されて以降、世界各地で社会の分断が強く意識されるようになりました。これは近年の特徴なのでしょうか。

【東】社会の分断は昔からあったと思います。それが現在はSNSによって可視化されるようになったのでしょう。

可視化はいいことだとは限りません。そもそも、ぼくたちはいろんなことを「見ないふり」をしながら社会の秩序をつくっている。すべてを丸裸にすると、秩序自体を壊してしまう危険性があります。

たとえば衛生問題でいうと、もし家の至るところで雑菌が拡大され可視化されるようになったら、そこらじゅう雑菌だらけですよね。それがすべて見えたら、たぶん生活できません。

ところがSNSは、人々の心にうごめく雑菌を社会全体で可視化してしまう。例えば、政治家を信頼するといっても、政治家だって人間だから、プライベートではいろいろ問題がありうるわけです。でも、一種の幻想として「政治家的人格」を信じないと、とても信頼なんかできない。いまはその幻想が機能しなくなってしまったので、いろいろ難しくなってしまった。

哲学者の東浩紀さん
撮影=西田香織