幻想を肯定することにもっと目を向けていい

――幻想ですか。

【東】「幻想とは何か」というテーマは、ウクライナ戦争が起きてからとくに考えるようになりました。多くの知識人は、現実を見せることが正義だと思っている。しかし実際には、あるていど幻想をつくらないと社会秩序は壊れるんです。家庭も企業も学校も、幻想によって成立しているわけです。すべての現実を赤裸々に出したら、ぼくたちはたぶん壊れてしまいます。

戦争と平和でいえば、確かに平和は幻想です。地政学的な条件、国家間の対立などを見ずにボーっとしているのが平和ですから。しかし「平和なんて幻想だ」と言って、ずっと戦争するわけにもいかない。平和という幻想には現実的な価値があるわけです。

幻想をつくるというと、「現実逃避だ」と言う人がいますが、幻想がないと社会は存在できません。幻想が現実を覆い隠しているというのは単純な考え方で、実際には、幻想があるから現実が維持されている。

知識人や言論人は、ただ現実を突きつけるだけが仕事ではない。政治にしても、学問にしても、実は幻想を供給する立場なのだと自覚することが必要なんだと考えるようになりました。知識人だけでなく、幻想の価値を認識し、幻想を肯定することに、みなもっと目を向けていいと思います。

哲学者の東浩紀さん
撮影=西田香織

今後のテーマは「家族の哲学」

――今回の増補版では、第1部が「観光客の哲学」、第2部が「家族の哲学(導入)」となっています。家族の哲学は、今後のテーマということですね。

【東】それがまさに、この夏に続編として刊行される『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)のひとつのテーマになっています。『観光客の哲学』では「家族の哲学(導入)」となっていますが、『訂正可能性の哲学』ではその「導入」が取れて、本格的に家族の哲学が展開されています。第一部のタイトルは「家族と訂正可能性」です。

なぜぼくが家族のテーマにこだわるかというと、ひとつにはリベラルの限界を超えたいという問題意識があります。リベラルは、家族という存在は閉鎖的なコミュニティだと考えます。その外に社会という開放的な空間があるのだから、閉鎖的な家族は壊してしまったほうがいい、たとえば教育や介護などもなるべく公共的なサービスへ移行するほうがいい、という意見もあります。