「学校の作文」は、なぜ書きづらいのか

とはいえ、「誰に向けて」をしっかりと意識してなにかを伝えようとしている人は、意外と多くはありません。

文章の相談に乗るときに、ぼくが書き手にかならず「伝えるべきことをひとことでいうと、なんですか?」という質問を投げかける、とお話ししましたが、そこで相手が口ごもったときには、たいてい「どんな人に向けて伝えようとされていますか?」と訊くことにしています。

でも、その問いかけにスムーズに返答できる人も、じつはそう多くありません。

「ひとことでの自覚」同様、「誰に向けて」も、さほど重視されてはいないのです。

あくまで仮説レベルの話ですが、こと文章に関して、こういう書き方、取り組み方が当たり前になっている背景には、じつは学校の作文の影響があるのではないかとぼくは考えています。

というのも、学校で作文を書くときに「受け手は誰か」を設定する、つまりは「誰に向けて文章を書くのか」をはっきり決めることはほとんどないからです。

誰に向けてでもなく、受け手がはっきりしない状態のままで、とにかく思うことを書くようにと、うながされます(ほとんどの場合、書いたものを読むのは教師ですが、あくまで指導者としての読み手であって、文章の“宛先”ではありません)。

写真=iStock.com/ferrantraite
※写真はイメージです

仮に、行ったばかりの遠足の思い出を書くのだとしても、本当なら仲のいい友だちに向けて書くのと、父親に向けて書くのと、幼い弟や妹に向けて書くのとでは内容がちがってくるはずです。

でも、その“宛先”を曖昧なままにすると、当然のことながら、書くべきことがはっきりしなくなります。

小学生のころ、学校の授業で作文を書くときに、「ぼくは……」「わたしは……」と書きだしたものの、そこから先に進まない、書けなくなってしまったという経験がある人は少なくないはずですが、そのいちばんの理由は「誰に向けて」を設定しなかった(設定しない書き方を求められた)ことにあるのではないでしょうか。

受け手がはっきりしない文章は求められない

実際に、ぼくは知人から子どもの作文へのアドバイスを求められたときには、この仮説を念頭に置きつつ、「おじいさんやおばあさんに読んでもらうと思って書いてみる」「お父さんに向けて書いてみる」ことをすすめていますが、少なくともこれまでそれを実践した結果を聞いたかぎりでは、かなりの効果があるようです。

〔ちなみに、“宛先”を「おじいさんやおばあさん」「お父さん」としているのは、子どもの日常を知りすぎていない関係性であることが多いからです。ふだんからいっしょに過ごしている時間が長い相手だと、あらかじめ共有できている情報が多くなります。そうすると、どうしても書く文章がハイコンテクストになりがち(暗黙の了解を前提にしがち)で、とくに子どもの場合は、いわゆる“きちんとした文章”にならない可能性が高まります〕。

松永光弘『伝え方 伝えたいことを、伝えてはいけない。』(クロスメディア・パブリッシング)

こういういい方をすると「こうすれば筆が進む」という書き方のテクニックの話のようですが、そもそも「誰に向けて」を設定しない書き方は実際的ではない、といいたいのです。

日常を振り返ってみるとわかることですが、ふだんの生活のなかで、受け手がはっきりしない、学校の作文のような文章が求められることはまずありません。

仕事で書く報告書や企画書には、上司やクライアントといった受け手がいますし、イベントの告知などで書く文章にも訴えかけるべき相手がかならずいます。

ほとんどの場合、文章は「伝える」ために書かれるのですから、「受け手がいる」のは当たり前のはずなのですが、知らず知らずのうちに、そこが軽視されてしまっているのです。

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