令和に入り、「同一県内の合併」が加速
「旧相互銀行が前身である第二地銀は破綻が相次ぎ、再編の嵐に揉まれたが、全国地方銀行協会に加盟する第一地銀はバブル崩壊後も全国64行体制が続いた」(地銀幹部)とされる。各県の金庫番を務め、地域の雄である第一地銀はしぶとく生き延びたわけだ。
だが、その構図も20年10月、長崎県の十八銀行と親和銀行が合併し、翌21年1月に新潟県の第四銀行と北越銀行が合併。さらに21年5月には三重銀行と第三銀行が合併して三十三銀行が誕生した。同年10月には福井銀行が同じ福井県内の福邦銀行を子会社化している。
この流れは22年に入りさらに加速した。22年4月に青森銀行とみちのく銀行が経営統合を行い、共同持ち株会社のプロクレアホールディングスを設立した。両行は25年1月を目途に合併し、「青森みちのく銀行」となる予定だ。
「1県1行体制」を描く金融庁のシナリオ
さらに22年9月に八十二銀行と長野銀行が経営統合を発表、23年6月に八十二銀行が長野銀行を完全子会社化し、25年を目途に合併する計画だ。また22年10月には愛知銀行と中京銀行が統合し、持ち株会社「あいちフィナンシャルグループ」を設立、25年1月に合併する予定となっている。
さらに22年11月には地銀グループ最大手のふくおかフィナンシャルグループが、同じ福岡県内の福岡中央銀行を完全子会社化すると発表した。そして、しんがりは、学生の地銀就職ランキングで常にトップを独占してきた横浜銀行による神奈川銀行の完全子会社化だ。この統合では横浜銀行は神奈川銀行にTOB(株式公開買い付け)を行い、子会社化している。
これら一連の同一県内での統合の背後にいるのは、いうまでもなく金融庁だ。金融庁が念頭に置くのは、「1県1行体制」で盤石の地域金融を築くことにある。同体制は昭和前期の大蔵省の施策で「戦時統合」とも呼ばれる。国債消化と戦争遂行のために資金を集中投下することを目的に、同一県内の中小銀行を強制的に大手銀行に集約していった。現在の政治・経済情勢と酷似しているとの指摘もある。