現在のナプキンの原型となった「野戦看護婦の包帯」

そんなわけで、1900~1910年代のエドワード朝時代の優雅な女性たちは、スカートの下に「生理用エプロン」を着けていたのかもしれない。これは洗濯可能なリネン製のおむつのようなもので、ガードルやベルトで腰に固定し、後部に垂らしたゴム製スカートによって、服に染みがつき、それを目撃されるという恥ずかしい事態を回避した。

さらに暖かさや、慎み深いという評判を保つため、その上には足首丈の、股下があいたブルマーが穿かれた。しかしかさばり、着脱が面倒なこの一式は、昔から存在する技術にひとひねり加えた、使い捨ての衛生的なナプキンやタンポンなどが登場すると、徐々に姿を消していった。

第一次世界大戦中、塹壕ざんごうの兵士たちのために開発された木質繊維製の野戦用包帯(セルコットン)が、生理中の野戦看護婦にも利用され、下着のなかに突っ込まれていることを、キンバリー・クラーク社という会社が知った。どうやら同社が開発したセルコットンは、ぼろ布の後継となる吸収力の高い、衛生的な素材だったらしい。

写真=iStock.com/VacharapongW
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噂を耳にした本社は、看護婦たちに説教するよりもむしろ、「コテックス」という新たな商品ブランドとして生理用ナプキンを売り出すことを決意し、信頼できる商品として着け心地のよさと不快感の軽減を強調する広告キャンペーンを行った。これは賢明な決断だった。

タンポンの特許を巡る歴史

グレッグ・ジェンナー『ロンドン大学歴史学者の「歴史のなぜ」がわかる世界史』(かんき出版)

タンポンのほうは、アメリカ人の整骨医アール・ハース博士によって発明されている。1920年代に開発された彼の「アプリケーター付きタンポン」のおかげで、女性は性器に触れずにこの綿製品を膣に挿入できるようになった。

すばらしいアイデアにもかかわらず、なかなか売り上げが伸びなかったため、1933年にハースは勤勉なドイツ系移民ゲルトルード・テンドリヒに特許を売却している。彼女はミシンと空気圧縮機だけを使って、タンポンを手づくりしはじめた。1人の女性から始まった製作所はやがてタンパックス社となり、世界中のタンポンの売り上げの半分を占めるまでに成長した〔現在の所有者はプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)社〕。アール・ハースの子孫は、自社株を所有しつづけなかった不運をさぞ嘆いていることだろう。

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