義母の家で9人同居
25歳で結婚し、以降ずっと義実家で義両親と同居している鈴木さん。当時9人で暮らしていたというが、どんなに広いのだろうかと思えば、部屋はキッチンの他に9部屋。9人で9部屋あれば十分かと思いきや、そのうち2部屋は義母の荷物が溢れていて使えず、トイレは2つ、浴室は1つだという。
「朝なんてキッチンは戦争のようで、トイレもお風呂も順番待ちです。義母の部屋は使わない荷物がありすぎて、長男夫婦に子供が生まれても使わせてもらえませんでした」
義母は一人娘として産まれ、22歳の時に義父が婿養子としてやってきた。家から出たことがなく、外で働いたこともない義母は、女王様のようにワガママだった。
「私が結婚してこの家に来た時は、義祖母がまだ生きていて、義母も義祖母も家事もほとんどせず、義父に命令して何もかもやらせていました。それを見るのも苦痛で苦痛で……。外から来た者同士、義父とは助け合いました」
誰の言うことも聞かず、自分が中心でないと気に入らない義母は、義父や自分の子供たちからも疎まれていたという。
「夫もこんな家庭、嫌だったのでしょうね。夫と義母は、毎日のようにけんかばかり。夫は私を、義母からも義きょうだいからも守ってくれていました。夫が義両親より先に他界してしまうと、義父は今まで以上に私や私の家族を守ってくれるようになりました。その頃から義母の機嫌が一層悪くなったように思います。義父が自分より私や孫をかわいがることが気に入らなかったのかもしれません。近くに住む義姉婿の言うことしか聞かなくなり、義父も義母の相手をほとんどしなくなっていました」
結局、義母が荷物を片付けてくれないため、鈴木さんの長男家族は近くにアパートを借りて引っ越し。しかし農業は長男が継いでいるため、毎日田畑には通って来た。
家事や孫の世話は、ほとんど鈴木さんが担当し、休みの日はできる人がした。鈴木さんの提案で、「シェアハウスのように、できる人ができることを、話し合いながら協力してやろう!」と決めたのだという。
「結婚後は、義両親の生活費も全部夫が出していましたが、子供たちの学費で私たちはヒーヒー言っていたので、家計を分けました。子供たちが働き出してからは、年間生活費を計算して、世帯で割ってもらっています。義両親からももらっていましたが、義きょうだいたちは気に入らないようで、会うたびに『ジーさんバーさんからお金を取るな!』ばかり言われていました」(以下、後編へ続く)