指導者の格差
50歳以上の野球指導者に話を聞くと「僕らの時代は、真夏の練習でも体が冷えるといって水を飲ませてもらえなかったのになぁ」と話す。
昭和の時代は、肩肘のリスクを無視して投げ込みをさせたり、試合で負けると罰走と称して球場から学校までなど、長距離を走らせるのも当たり前のことだった。ケガをしたり、故障をして離脱した選手は「身体が弱かった」「根性がなかった」「運が悪かった」と見なされたものだ。
だからといって、それが勝利への常道だと信じ、生徒たちに強いるのは大いに間違っている。
自分の経験値と昔ながらのやり方に固執する人に限って、医療や体のケアの知識も乏しい。
もちろん、正しい知識を持った指導者も多くいるが、指導者の質の格差は高校野球では依然として存在する。
高野連は本当に危機感を持っているのか
高野連は2020年のセンバツから投手の球数制限を行ったり、甲子園の予選に医師が常駐するようにしているが、上記3つのリスクに対する根本的な解決になっているとは言えない。
甲子園を頂点とする高校野球は、ケガやアクシデントの危険性が増しているのは確かだ。このことに高野連は本当に危機感を持っているのか。
勝利よりも、選手の命や健康を優先していると本当に言い切ることができるのか。今回のような死亡事故が再び起きてしまわないためにも、今一度総点検すべきではないか。