そんなときに阪神淡路大震災が起こった

――その興奮が30年間も研究に没頭する原動力になったわけですね。

そうです。その後、同じタイプの地震計を使っていた各地の気象台を片っ端から調査していったら、山形、高田、徳島、長崎などの気象台で振り切れていない気象紙が残っていました。そこから、マグニチュードを割り出してみると、マグニチュード8.1±0.2という数字が出てきました。ようやく従来、言われてきたマグニチュード7.9も許容範囲だったことが分かったのです。

マグニチュードについてはこうして分かったのですが、関東大震災でどの地域をどの程度の揺れがおそったのかも明らかになっていなかった。

ちょうどそんな問題意識を抱いていた時期に発生したのが、阪神・淡路大震災――1995年の兵庫県南部地震です。メディアは「震度7」「震度7」を繰り返し報じました。ただ日本の歴史を振り返れば、震度7の地震は珍しくありません。そこで明治時以降に震度7を記録したであろう地震を整理した論文を書きました。

「被害統計をもう一度調べ直す必要がある」

記録したであろう、というのは、震度7が導入されたのが1948年の福井地震からだからです。それまでも震度7に相当する地震は関東大震災以外にもたくさんありました。1891年の濃尾地震、戦時中に発生した昭和東南海地震や三河地震……。明治以降から阪神・淡路大震災までで、10を数えます。

こうした過去の地震について整理していくなかで、関東大震災の震度分布(地域ごとの震度)や被害統計をもう一度、調べ直す必要があるのではないかと思うようになりました。

実は、我々の先生世代の研究者たちは「関東大震災の被害統計はいい加減だ」と批判はするけど、誰も検証しようとしなかったからです。

確かに、1990年代ころまでは関東大震災に関する被害集計データはデータ間の値の不一致が多くて信頼性に乏しいとされていました。それが家屋の全壊率を割り出す障害となっていたのは事実です。私がざっと見ただけでもデータが重複していたり、数値が合わない部分があったりしました。

でも、当時の人たちが苦労して、残してくれた記録でしょう。いい加減なものを残すわけがないと思っていました。解釈できないのは、現代の自分たちの努力が足りないからではないか、と。

私は、まず木造家屋の全壊率に着目し、東京各地の震度を割り出そうと考えました。