社会人経験に乏しい世襲3世

1982年、安倍晋太郎が外務大臣になると、安倍晋三は神戸製鋼所を辞めて秘書官となった。会社員生活は3年ほどとなる。

安倍晋三と岸田文雄は2人とも大学を出たあと、数年間ではあるが、会社勤めをしている。大学を出てすぐ父の秘書になったわけではない。

しかし、2人とも社会人としての実績に乏しい。

写真=iStock.com/ponsulak
社会人経験に乏しい世襲3世(※写真はイメージです)

それでも世襲議員が大臣になる理由

1993年6月、宮澤内閣不信任決議案が可決され、衆議院は解散、総選挙となった。

自民党は過半数を割り、日本新党の細川護煕が総理大臣に指名され、連立政権が誕生した。

自民党にとって厳しい選挙だったが、この選挙で安倍晋三と岸田文雄はともに初当選している。

世襲議員は選挙に強い。

写真=iStock.com/tsuyoshi_kinjyo
世襲議員は選挙に強い(※写真はイメージです)

安倍晋三は38歳(9月で39歳)、岸田文雄は36歳で初当選し、以後、当選を重ねている。

政界は、学力・学識・教養・人格・性格より、当選回数が重視される世界だ。30代で議員になると、だいたい50代で当選5回か6回になるので、よほどのことがない限り、50代で大臣になれる。

安倍晋三は2000年の森内閣から、次の小泉内閣の03年まで内閣官房副長官、当選5回となった05年から06年まで小泉内閣の内閣官房長官として初入閣。他に大臣経験はない。

岸田文雄も当選5回で、2007年の第一次安倍内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣。続く福田内閣でも留任した。