「広島で生まれ育った」と言えない弱点

岸田翔太郎は父・文雄とは異なり、広島で育ち、小学校は難関校の広島大学付属東雲、中学・高校は名門の修道中学・高校、大学は慶應義塾だ。一方、岸信千世は幼稚舎から慶應義塾である。

岸田首相は広島で暮らしたことがなく、学校も広島ではない。したがって、彼個人の広島での人脈が乏しい。何よりも、「広島で生まれ育った」と言えない。その弱点を克服するために、息子の翔太郎は広島の学校に通わせたのかもしれない。たしかに、選挙では有利だろう。岸信千代は、岸信介から数えれば4世だが、山口県では暮らしていない。それでも当選してしまう。

世襲制度は崩壊寸前

翔太郎は慶應義塾大学を卒業すると2014年に三井物産に入ったが、2020年に辞めて岸田事務所に入り、22年10月に首相秘書官となった。

中川右介『世襲 政治・企業・歌舞伎』(幻冬舎新書)
中川右介『世襲 政治・企業・歌舞伎』(幻冬舎新書)

この首相秘書官就任時点で、「公私混同」だとの批判が上がり、何らかの実績を上げれば、「さすが、総理の子は優秀だ」となっただろうが、その逆だった。総理の外遊に随行したが、観光していたと批判され、それはどうにかかわしたが、公邸での忘年会が致命傷となった。

岸信千世も立候補表明の段階から世襲批判にさらされた。3世の岸田文雄や安倍晋三は初当選するまでは「お父さんの秘書」でしかなく、何の実績もないが、悪い評判もなかった。だが4世の岸田翔太郎は議員でもないのに、岸信千世は1年生議員の段階で、全国的に悪い評判が立った。安部家は4世が生まれず、世襲できなかった。血脈に依存する制度には限界がある。息子がいても優秀とは限らない。

世襲は制度疲労を起こし、いまや崩壊寸前だ。世襲政治家の一族が自滅するのはいいが、これを放置していたら、国家が滅びてしまう。

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