長篠の戦いの勝敗を決めたのは地の利と物流だった
武田・北条ら東国大名にとって、西国・畿内の物資を仲介してくれる重要な存在は、伊勢商人であったと推定される。とりわけ大湊の商人は、信長の圧力を受けながらも、交易を継続していた。天正3(1575)年、大湊が織田氏の支配下に入った後も、秘かに東国大名との交易は続けられていたようだ。しかしながら、その規模は縮小するいっぽうであり、信長の物資統制が、武田勝頼を苦しめていたことは想像に難くない。
このようにみてくると、長篠合戦とは、「新戦法対旧戦法」ではなく、豊富な物流と物資を誇る西国、畿内を背景にした織田と、それに乏しい東国の武田の戦い、つまり西と東の激突といえるだろう。むしろ、物量の差という側面こそを重視すべきである。