世界恐慌時も「従業員は1人も減らさない」

昭和4年(1929)から同5年にかけて、アメリカ発の世界恐慌が我が国にも及び、いわゆる昭和恐慌となった。次々と企業は倒産し、町中に失業者があふれていった。もちろん松下電器の売り上げも激減してしまい、倉庫に入り切らないほど在庫を抱えてしまう。

この時期、幸之助は病気で静養していたが、あるとき重役たちが枕元にやってきて、「生産量と従業員を半減したい」という総意を伝えてきたのである。

このとき幸之助が発した言葉は、重役たちの意表を突くものだった。

「生産は半減するが、従業員は1人も減らさない。このため工場は半日勤務とする。しかし従業員には日給の全額を支給する。その代わり全員で休日も廃止してストック品の販売に努力する」と指示したのである。

解雇されるかもしれないとおびえていた松下の社員たちは、社長の意向を知って心から喜んだはず。「松下電器は、どんなことがあっても社員を見捨てることはしないのだ」(松下幸之助著『私の行き方考え方』実業之日本社、1962年)

山のような在庫をわずか2カ月間で一掃

この安心感が、全社員を奮起させることになった。結果、驚くべきことに、山のような在庫は、社員一人ひとりの必死の努力により、わずか2カ月間で一掃できてしまったのだ。

常日頃、社員たちに感謝の念をもつように指導していた幸之助だが、この逸話からわかるとおり、じつは社長である彼自身が人一倍、社員に対する感謝の念が強かったのである。だからこそ、会社存亡の危機にあっても、ただの一人も解雇しないという断固たる決断がとれたのだ。そしてそれが、社員のやる気に火をつけ、結果として松下電器全体の幸福につながったというわけだ。