なぜモールや百貨店には窓がないのか
外部が存在せず、箱庭のような街が内部にある、という形式はユートピアに似ている。トマス・モアが描いたユートピアは海と川で二重に守られた馬蹄形の島で、もともとは大陸の一部だったものが切り離されたという設定だ。「モールの想像力」展では、モールのユートピア性を、さまざまな作品を通じてあぶり出している。
ここで注意しておかねばならないのは、ユートピアは単純な桃源郷ではないという点だ。トマス・モアもユートピアを理想都市としては描いていない。一見、外部が存在せず、純粋な「理想の街」として存在しているかのように見えるモールだが、当然そんなことはない。一般的に、モールは他の建築、たとえばオフィスや住宅などに比較すると極端に窓が少ない。百貨店にもない。なぜか。建物の外周にバックヤードがあるからだ。バックヤードを見えなくすることによって「理想の街」を維持しているわけだ。
これはモールだけの話ではない。あらゆる都市が見えないバックヤードによって支えられている。都市の大きさはそのバックヤードがどれだけ遠くに追いやられるかで測ることができる。このことを12年前にぼくらはあらためて実感した。東京の電力を支える「バックヤード」のひとつは200km以上離れた地に置かれている。水源も石油もガスも、インフラは中心から遠く離れた場所から調達されている。それらとの間に線を引き、見えなくすること。それが「理想の街」の作り方である。
従業員以外立ち入り禁止のバックヤードに通じるドアをモールで見かけるたびに、こういうやり方はもうおしまいにすべきなのではないか、とぼくは思う。「モールの想像力」展で最も言いたかったのは「バックヤードに窓をあけよう」ということだった。
バックヤードは入れ子状になっている
中心から見えなくなっているバックヤード。そのもうひとつの例は軍事だ。首都圏を見ると、自衛隊や米軍の基地は国道16号線沿いに集中している。ここが都市のエッジというわけだ。同時にこの道沿いにはモールが多い。内部にバックヤードを抱えた「理想の街」であるモールは、それ自体が都市市民の生活を支えるインフラでもある。バックヤードは入れ子状になっているのだ。
「モールの想像力」展が始まったのは2023年の3月4日。一週間後に東日本大震災から12年目をひかえ、同時にロシアによるウクライナ侵攻から一年が経過したタイミングだった。当初冒頭に掲示する吹き抜けの写真はべつのものだったが、オープン直前でキーウのモール「GLOBUS」に差し替えた。地下鉄を降りて坂を下り、独立広場まで歩いた7年前を思い出した。チョルノービリ原発はソ連の電力をまかなうバックヤードだったのだ、といまさらながら気がつく。
「GLOBUS」の写真をよく見るとカフェでお茶をしている人などが写っている。彼らは今どうしているだろうか。「GLOBUS」は「地球」の意味である。