机は「自分の心の居場所」

ところで、私には思い出の机があります。それは、中学校に入学したときのお祝いに両親がプレゼントしてくれたものでした。

どっしりとした木製の机で、両手を広げたくらいの幅がある大きな机でした。顔を近づけるとふわっと木の香りが鼻を覆います。椅子も木製で、クッションのところには深い緑色のビロード生地が張られていました。

いかにも学習机といった風でなく、そこに向かうと自分の世界観が広がるような、想像力をかき立てられるような、「器」の大きさを感じさせる机でした。

中学生への贈り物としては豪華な代物。ふと気になって、なぜあのときあんな立派な机をプレゼントしてくれたのかを母に聞いてみたことがありました。

すると母は、当時を思い出しながらこう話してくれました。

「机は自分の居場所。勉強ばかりではなく日記を書いたり手紙を書いたり、大切なものをしまったりと、自分を形成する場所。自分の心を育む場所。だからよいものが必要だと思ったの。そう考えると、あの木の香りのするどっしりとした机は最適だな、と思ったのよ」という返事が返ってきました。

勉強はやろうと思えばどこでもできます。リビングのテーブルでもいいし、こたつでも床でもいい。けれど、母は「場」に配慮してくれた。机に向かったときの私の身体感覚や気持ちがどうであるかを気遣ってくれた。

いつでもどっしり迎えてくれて、木の香りがして、やわらかいビロード生地がお尻を支えてくれる。そういう感覚に包まれて勉強したり、日記や手紙を書くのはとても幸せなことだと、母は教えてくれたような気がします。

私にとって机は、自分の世界を生み出す場であり、自分を形成する場所。今でも机に向かうと、ここは自分の世界。自分をどっしりと迎えてくれる港。そんな気持ちになって、さぁここから前へ進もうという勇気をもらえるのです。

写真=iStock.com/mixetto
※写真はイメージです

机に向かわなくても勉強できる

自分専用の机をもち続けることにはこだわっていますが、「勉強は机の前でするもの」というこだわりはありません。

1日のうちで机に向かえる時間はごくわずか。朝3時から子どもたちが起きてくるまでの約3時間のみでした。これだけでは、とうていハーバード大学院の受験準備は間に合いません。

そこで次に使ったのが通勤時間でした。

当時、私は栃木県宇都宮市に住んでいたので、東京・銀座にある勤務地へは新幹線通勤をしていました。

片道約1時間半。新幹線に乗っている約55分間は、乗客がぎゅうぎゅう詰めになるラッシュもなく、必ず座れるので勉強には最適でした。

通勤時間は、上手に利用すればかなり有効に使える時間です。

私の友人は、急行に乗れば約20分で仕事場の最寄り駅に着く場所に住んでいましたが、あえて各駅停車に乗り、約40分かけて通勤していました。もちろんその分早く家を出なければなりませんが、各駅停車なら必ず座っていけたそうです。

急行列車に乗って立ったたま20分を過ごすよりは、座って40分を過ごしたほうが有意義に使える。読書もより集中できるし、ノートパソコンを開いてメールを打ったり仕事をすることもできる、といっていました。

「新幹線通勤は大変でしょう?」と周囲からよくいわれましたが、私にとっては快適かつ貴重な勉強時間だったのです。

ひと月の定期代は約10万円と高額ではありますが、そのうち勤務先が5万円までは通勤手当として支給してくれるということで、5万円が自己負担。当時の私にとっては勉強時間の確保はお金には換えられないので、喜んで支払うという気持ちでした。