「ビヨンド・ザ・細切れ時間」を徹底活用
さて、これで朝の3時間と通勤の往復約3時間を勉強にあてられましたが、1日のうちに勉強できる時間はまだありました。
それは通勤途中の徒歩や電車待ちの時間。家から最寄り駅までの約5分、駅で新幹線を待つ間の約3分、東京駅からオフィスまでの約10分、帰りは駅から保育園まで自転車で約10分。トータル約30分の時間がありました。
この時間に、iPodで英語の格言や会話集のCD、英語版『7つの習慣』の付録CDを聴き、リスニング力をつけました。CDの続きが聴きたくて細切れ時間が楽しみになったことさえありました。
さらに、仕事の昼休みの余った時間、仕事の途中でトイレに行くとき、家に帰ってからは洗濯物を干すとき、食卓の食器を片づけるときなど、もはや隙間時間とは呼べない「ビヨンド・ザ・細切れ時間」ともいうべき時間にも、絶え間なく頭を動かし、小論文の内容を考えたり、メールの返事を用意するなどしていました。
隙間時間を使っているとき、私はときどき、昔、父にいわれた言葉を思い出します。
実は、私は子どもの頃から計画を立てるのが大好きでした。
たしか中学1年生の頃、私は机に向かって中間テストに向けた勉強の計画表をコツコツとつくっていました。この日のこの時間は国語、この時間は数学というように。すると父がそばに来ていったのです。
「机に向かってやる以外にも勉強はできるんだよ。机の上でするだけが勉強じゃないんだ」
父は、たとえば歩いている間やお風呂に入っているときなど、問題集や単語帳を見ていないときも、それらを思い出すことで勉強になるといいたかったのでしょう。
当時の私は半分わかったような、わからないような顔をしていたと思います。今なら「うん、うん、本当にそうだよね」と大いに賛同するところなのですが。
オムツをたたみながら、論文を読んでいた父
そんな父も、子育てで忙しい時期には隙間時間をかなり活用していたようです。
私の両親は共に大学で教員をしていました。共働きのため、私は生後43日から保育園に入りました。当時は布オムツが主流で、その保育園でも布オムツが使われていました。
毎朝登園すると、親の仕事のひとつとして、その日自分の子どもが使う布オムツの布を四つ折りにして棚に入れておく、という作業があったそうです。乳児のオムツですから、十数枚以上あったと想像します。
ずっとあとになって保育園時代からの友人のお母さんが教えてくれたのですが、私の父は、このオムツをたたむ作業をしながら、傍らの床に置いた論文を読んでいたのだそうです。文章を目で追いながら手は絶え間なくオムツをたたんで、というように。
留学準備の忙しさから解放された今でも、私は仕事場の廊下を歩きながら、あるいは保育園から駅への道をダッシュしながら、論文の内容を考えたり、昼食を食べながら本を読んだりしています。そんなとき、ふと父を思い出すのです。