父親はIT音痴
――周囲に似たような人いた?
いないです。例えば父親は大学の先生(地盤工学)でパソコンはまったくできない。
たまたま研究室に連れて行かれて、暇だったから研究室にあったパソコンを触ったというのが4歳。小学校の頃はいつも大学の研究室に行って大学生と遊んでいました。メスシリンダーに囲まれて。
――子供が好きな戦隊ものなんかにはまったことはないの?
まったくやってないです。遊戯王カードとか、めっちゃ流行ってたんですけれど、やってないです。
――そうすると友達と共通言語がないよね。
そうですね。ある意味よかったと思うんですが、両親からなにも与えられなかった。だから買わないんじゃなくて買えない。だからハングリー精神は強くなったかもしれないです。それを苦しくは思わなかったけれど、「なんでうちにはプラレールがないんだろう」くらいは思っていました。
僕は当時長野に住んでいて、たまたま市内に光ファイバーが通った。長野オリンピックのおかげで。市民が使えるネットの施設ができたのでそこに行っていました。そしてもっとパソコンが使いたくなると、父親の大学の院生室にはハイスペックなパソコンが揃っている。それが使いたくって、「はい、僕うめけん」と名乗ってすり寄って可愛がってもらいにいっていましたね。
――これの対談は文科省の人に見てもらいたいなぁ。こういう例もあるんだよってことを知ってもらいたい。大学に入った理由は?
仕事だけをしていると、まだ自分の中に公式がなくって絞り出すのが大変。一回一回絞り出さなくってはならなくってきつくなってきます。それで自分のネタが切れたときに専門性というものがあったほうがいいかな。分かりやすいかな?と思った。加えて、日本で生きていく上で、(学歴は)持っていても重くはなかろうと思いました。
――なるほど。周囲の人間は、本当にうめけんは大学へ行っているのか、と心配していませんか?
大学にいると、「え、うめけんここにいるんだ!?」と驚かれる。大学には実際行ってみてやっぱり、知的好奇心が強い人とのコミュニケーションのおもしろさや、学友から学ぶことの大切さなど、いろいろ感じています。それと同時に、大学教育への危機感も感じています。
――ぜひ聞かせてほしいですね。
大学という場にみんな大いなる期待を持って高いモチベーションでいるんですが、やっぱり高校の延長線上であって大きくは変わらない気がしています。例えば、慶應SFCなので、特に一般教養ということもなく1年次から4年生と同じ授業も取れるんですが、経営とか起業の話を授業で聞くなら、僕の場合、経営者は傍にいるので、1対1で聞いたほうがためになる。大学も社会なので自分で意思やプラン、見通しをもっていないと、他の人と同じように就職をすることになってしまう。